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記憶喪失はいくらなんでもズルい


2023年3月7日(月)朝の6:00になりました。

満島ひかりさんの演技が観たくて『First Love』を視聴しました。

どうも、高倉大希です。




ふたりの登場人物を出会わせたければ、ふたりの登場人物が出会う理由を描かなければなりません。

「転校してきた」という理由をつけて、隣の席に座らせてみたり。

「シンクロ率が高い」という理由をつけて、汎用人型決戦兵器に乗せてみたり。

出会わせ方は、つくり手によりけりです。


数ある出会わせ方の中でも、かなり便利なのが「タクシー」という設定です。

タクシーには、どんな人物が乗ってきても何もおかしくありません。

政治家が乗ってこようが、昔の恋人が乗ってこようが、すべて「偶然」で済まされます。


『First Love』に登場する満島ひかりさんもタクシーの運転手です。

『ちょっと思い出しただけ』の伊藤沙莉さんも、『オッドタクシー』の花江夏樹さんも、『タクシードライバー』のロバート・デ・ニーロさんも。

みんな、タクシーの運転手です。


タクシードライバー 苦労人とみえて
あたしの泣き顔 見て見ぬふり
天気予報が今夜も外れた話と
野球の話ばかり 何度も何度も繰り返す
中島みゆき「タクシードライバー」より


このようにつくり手は、あれも違うこれも違うと、どうにかこうにか工夫を凝らしながら、物語を前に進めるための理由を描き出そうとします。


そんな数ある理由の中でも、唯一、ずっと許せないものがあります。

それが、このnoteのタイトルにもある「記憶喪失」という設定です。


都合がよいタイミングで記憶を失って。

そしてまた、都合がよいタイミングで記憶を取り戻す。

「いくらなんでもズルいでしょ」と思ってしまうわけです。


「タイムスリップ」くらいぶっ飛んだ設定ならば、こちらもはじめからフィクションとして楽しめます。

しかし「記憶喪失」の場合、大抵はリアリティを武器にして、こちらの涙を誘ってきます。


別におまけ程度の遊び心ならよいのです。

しかし「記憶喪失」という設定には、物語そのものをグイっと方向転換させるだけの強大なパワーがあります。

そんなパワーに、多くの作品が引きずられてしまっているような気がしてならないのです。


「紙切れの紙切れの人生も大変よね。洗濯物のリストと食料品のリストを間違えて、朝食に下着を食べちゃうかもね」
クリストファー・ノーラン(2000)『メメント』ナタリーの台詞より


クリストファー・ノーラン監督は、そんなパワーを逆手にとって『メメント』という映画を製作しました。

「記憶喪失」がもつ不確定性を「都合のよいもの」として用いるのではなく、そのまま「不確定なもの」として用いたのです。

この作品だけが「記憶喪失」を、納得のいく理由として描き出してくれました。



そういえば、ずっと許せないものがもうひとつだけありました。

それは「記憶喪失」という設定です。


都合がよいタイミングで記憶を失って。

そしてまた、都合がよいタイミングで記憶を取り戻す。

「いくらなんでもズルいでしょ」と思ってしまうわけです。





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