わざとらしさは嫌われる
2023年5月17日(水)朝の6:00になりました。
スキを押していただけると、泣いて喜びます!
どうも、高倉大希です。
スキを押していただけると、泣いて喜びます!
ひねくれているせいか、このように書かれていると、逆に押したくなくなります。
「わざとらしさ」に、嫌気がさしてしまうのです。
この言いまわしには、「誇張法」と呼ばれるレトリックが用いられています。
「泣く」という大袈裟な表現をすることで、「喜び」の度合いを伝えようとしているわけです。
「誇張法」が用いられていれば、自動的に嫌厭されるのかというと、必ずしもそうとは限りません。
「秒でやります」や「死んでも嫌だ」という言いまわしは、日常会話の中で当たり前のようにつかわれています。
「全米が泣いた」とか「ほっぺたが落ちる」という言いまわしは、もはや慣用表現と化しています。
「誇張法」とわたしたちのコミュニケーションは、密接に関わっているわけです。
一方で、「わざとらしさ」が嫌われることもまた事実です。
いわゆる「ぶりっ子」が嫌われる理由もここにあります。
整理すると、この世には「受け入れられるわざとらしさ」と「嫌われるわざとらしさ」が存在するということになります。
「全米が泣くこと」は受け入れられるのに、「スキを押してもらって泣いて喜ぶこと」は嫌われてしまうのです。
ふたつの差は、お互いが嘘であることを承認しているかどうかです。
ぶりっ子に「ぶりっ子だよね」と言うと、「そんなことないですよぉ」と返ってきます。
一方、あざとい子に「あざといよね」と言うと、「あざとくて何が悪いの?」と返ってきます。
「受け入れられるわざとらしさ」には、「相手を騙してやろう」という気概が一切ありません。
これが「受け入れられるわざとらしさ」と「嫌われるわざとらしさ」の違いです。
本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
スキを押していただけると、爆発して喜びます!
今後とも何卒よろしくお願い致します。