「今、生きている経験」を求めて【初トライアスロン後編】
スイムから一転して好調なペースでバイクパートを終えた僕は、トランジションを駆け抜け、勢いよく大阪城公園内のコースに走り出した。
バイクパートが事前に予測したタイムを上回っていたので、このまま行けば制限時間内にゴールできそうだ。テンションがすっかり上がっていたのか、僕は快調なペースで走ることができていた。
懐かしき爆風スランプ。僕はなぜかこの歌を口ずさんでいた。
1km走ったところで、左腕のスマートウォッチが示したタイムが、なんと普段より2分も早かった。
おお、ええ感じやん!!
僕は快哉を叫び、さらにペースを上げようとした。すると突然、右太ももに激痛が走った。
痛っ、あれっ・・・?
急激にペースが落ち、身体が一気に重くなる。同時に呼吸がかなり荒くなっていることにも気づいた。スマートウォッチで脈拍を確認するとなんと202拍/分!!見たこともないような数字に僕はかなり動揺した(見なきゃ良かった)。
そしてそのままどんどんペースが落ち、僕は後から来たランナーに次々と抜かれていった。同時に気持ちもどんどん落ちていく。
それでも何とか、走りつづけゴールまで後2kmというところで足が止まってしまい、ついに僕は歩いてしまった。
くそっ。情けない。
最初がオーバーペース過ぎたのだ。テンションが上がって完全に自分を見失っていた。そのツケで足のダメージを悪化させてしまったようだ。
それでも再び走り始めた僕は何とか、ゴールまでたどり着くことができた。
ゴールラインを跨いだ瞬間、とてもホッとした気持ちになった。
ガッツポーズするような歓喜のゴールではなかった。「あ〜、終わった・・・」という安堵の気持ちと、最後に歩いてしまった悔しさがあった。
しかしいずれにせよ、僕は初めてのトライアスロンで完走できたのだ。足が攣りながらも、最後までやりきった。目標の「完走」は達成できた。その喜びは後からじわじわと湧いてきた。
しとしと雨が降り続く中の寂しいゴールだった。観客はもう誰もいなかった。
しかしそこには僕の妻がいた。この雨の中、何時間も僕のゴールを待ってくれていたのだ。妻がそこにいてくれたことが、僕は本当に嬉しかった。
「お疲れ様、よく頑張ったね」
そう声をかけてくれた。妻は食事をはじめ、様々な面で僕を支えてくれている。今日も彼女の姿が見えたから頑張れた。僕は心から妻に感謝した。
僕は15ラウンド戦い終えたロッキーが「エイドリアーン」と叫んだ気持ちが少し理解できた。
これが僕の初トライアスロンだった。
僕が自分自身に証明したもの。それは自分の弱さと強さがせめぎ合いながらも、少しだけ強さが優っていたこと。自分が思ったよりも僕は僅かに強かった。
結局、苦しいことやしんどいことを通じてしか得られないことがある。あえて苦痛や困難の中に飛び込み、そこで生じる痛みや苦しみを通じてこそ、自分が「今、生きている」という実感をリアルに味わうことができるのだ。
だからこそ、人はあえて自ら試練に立ち向かう。自身が全身で感じる「今、生きているという経験」を求めて。
おそらく、この先も僕は挑戦することを続けていくだろう。それは「僕が僕になるため」に必要なプロセスなのだから。
「次は、もっとカッコよくゴールしたいなあ」
帰り道、僕はそんなことを思っていた。
《完〉
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