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誰がために働く-映画『ラストマイル』感想 -

どうしても僕らは上手くできなくて
気がつけばからっぽになってしまった
失くしても壊しても奪われたとしても
消えないものはどこにもなかった

米津玄師「がらくた」



※以下、映画『ラストマイル』の若干のネタバレを含みます。ご注意ください。




スクリーンが暗転して、エンドロールと共にこの曲が流れ始めた時、冒頭の歌詞に強い違和感を覚えた。というより、すぐには歌詞の意味がわからなくて、頭に「?」が浮かんだ。

ふつう、「失くしても壊しても奪われたとしても」と逆接がきたら、「失われないものがあった」とか「消えないものがあった」とか、そういうポジディブな歌詞が続くだろう。実際、予告を通してなんとなく聞いていた時は、そんな風なことを歌っているんだろうと勝手に思っていた。

でもきちんと聴いてみると全然違う。「消えないものはどこにもなかった」のだ。「消えないものはどこにもない」という二重否定が意味するのは、「消えるものしかない」という当たり前の事実だ。失くして、壊して(壊されて)、奪われれば、全てが消えうるのだ。 何事にも侵さない神秘があるなんて、何人にも奪われない尊厳があるなんて、そんなのは空虚な思い違いに過ぎなかった。「がらくた」という曲はそう歌っている。

では、『ラストマイル』において、「あなた」を壊し、人としての尊厳を奪ったものはなにか。


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『星の王子さま』で世界中の老若男女に広く知られるサン=テグジュペリのもう一つの代表作に、『夜間飛行』という作品がある。

郵便飛行業がまだ危険視されていた時代のある夜のこと。パタゴニア、チリ、パラグアイから、三つの郵便機と三人の操縦士が、ブエノス・アイレス目がけて帰還の途中にあった。航空輸送会社の支配人であるリヴィエールは、その地で彼らと彼らが載せる郵便物の到着を今か今かと待っている。

しかし、そのうちの一機であるパラグアイ機が悪天候(颶風)に見舞われ、通信が取れなくなる。ついに燃料が切れ、機体のコントロールも効かなくなった当操縦士のファビアンは、とうとう夜の空に沈むことになる。作品はその一幕を、同時に支配人リヴィエールの側から描く。

事務員や整備士たちは噂をする。この事故によって、夜間飛行は停止になるのではないか。こんな危険なことは終わりになるんじゃないか、と。それでも支配人は決断する。「一旦道を開いた以上、続けないという法はない」。搭乗員の悲劇的な死を持ってしても、夜間飛行は止まならない。止められない。そうしてまた一機、空へと飛行機は飛び立ってゆく。読者はそこに恐怖を見るか、勇気をみるか。ざっくりとそんなあらすじである。


『ラストマイル』を観た時に抱いた複雑な想いははまさに、この『夜間飛行』を初めて読んだ時に覚えた煮えきらなさと似たものだった。リヴィエールの航空輸送会社は、他の輸送機関と快速を競うために、飛行機を危険な夜の空に飛ばす。エレナ(満島ひかり)の務める外資通販デイリーファスト社は、お客様の快適のためにトラックを安い賃金で走らせる。

 初めはみんなの幸福のためだった。リヴィエールは規律を重んじ、与えられた使命をただ全うする。しかし、彼はそれによってある人の幸福を決定的に損なうことになる。操縦士だって「みんな」のうちの一人であったはずだ。リヴィエールは自問する。「何者の名において、僕は行動しているのか?」リヴィエールは葛藤する。私は何者の名において、操縦士の命を危険に晒し、また彼の幸福を奪う権利があるのか。

どうして、そんなに早く荷物を届ける必要がある?いったい、誰がそんなことを望んだ?どうして夜間飛行を、センターのベルトコンベアを、止めてはいけない?

「───ぼくらは常に、何か人間の生命以上に価値のあるものが存在するかのように行為しているが、しからばそれはなんであろうか?」

サン=テグジュペリ『夜間飛行』, p103 , 新潮社



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エルサレムの文学賞を受賞した際、村上春樹は「壁」と「卵」の喩えを用いてスピーチを行った。ここでは、「壁」は国家や戦争やシステムなどの体制を、「卵」はそれに揺さぶられる個人を指す。


またそこで村上は、どれだけ壁が正しくても、また卵が間違っていたとしても、「硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます」と表明した。これが、「壁」と「卵」の理論としてしばしば引用される有名なスピーチである。

しかし、「壁」と「卵」というふうに簡単に分けれれるほど、現実は単純ではない(村上も勿論それは分かっているし、イスラエルで上のスピーチをしたことにはとても大きな意義がある)。


なぜなら、「壁」を構成し、「壁」を維持しているのは、いつでも個々の「卵」であるからだ。「壁」として働く時は「卵」の論理をうっとうしく感じるし、「卵」として動く時は「壁」の論理を疎ましく思う。我々は常にそんな矛盾を抱えて生きている。

そうであるなら、 「卵」であり「壁」である私たちはどのようにしてその矛盾と向き合っていけばいいのか。どうすれば、より善く生きることができるのか。


先に、『夜間飛行』と『ラストマイル』の煮えきらなさは似ていると書いた。それは当然だ。どちらの作品も、誰が正しいとか誰が間違ってるとか、誰が正義で誰が悪だとか、そんな易しい二元論で語れるテーマを扱ってはいないからだ。


けれども、その煮え切らない気持ちと合わせて、『ラストマイル』は『夜間飛行』の向こう、その一歩先を描いてくれたという確かな実感もあった。これほどの規模の興行で、このような答えのない問題、そして我々全員が当事者である問題にスポットを当てたそのことに、喝采を送りたい気持ちもあった。

『ラストマイル』から引きとった荷物を、うまく受け流せずにいるのは私だけではないはずだ。どれだけテクノロジーが発達しても、人が生きている限り、「労働」からの完全な解放はありえない。私たちは社会主義や共産主義の思想的政策的失敗を歴史の中に目撃してきたから、この資本主義社会が(ベストではなくても)ベターな在り方だと知っている。

でもその社会は時に誰かを犠牲にしてしまう。人の尊厳を大きく傷つけることがある。取り返しのつかない傷を負わせることもある。そうして傷つくのは私かもしれなし、あなたもかもしれない。あるいは、私たちの大切な誰かかもしれない。『夜間飛行』の操縦士ファビアンの妻に対してそうであったように、資本主義社会は「それと気づかずに、平和を破壊する」。

じゃあ、どうすればいい?どうしたら現状を変えられる?答えは出ないのに、どこかに分かりすい答えを求めてしまう。どこにも出口のない問いだ。それでも、この映画を観た私たちが、こうしてあれこれと考えることに、少しでも意味はあるんだと今はそう思いたい。


「(仕事に対する)プライドならあんたよりある。商品に愛情だってある。だけどね、人を死なせてまでやることなのか?」

アンナチュラル 第4話「誰がために働く」

「この橋を、一人の男の顔を拉いで(ひしいで)まで架ける値打ちがあるでしょうか?」

サン=テグジュペリ『夜間飛行』

遠回りして帰ろう
迷い込んだっていいから

米津玄師「がらくた」


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