待っていたのは・・・
昭和初め?中頃?。 母の実家近くに映画館は無かった。
映画を観に行くときは、博多(福岡市内)まで来ていたらしい。
仲良しのお友達と二人で映画、特に洋画を観ることは 時代背景的に海外情報を知る唯一のお洒落な感じで楽しみだったと。
平成のはじめ?くらいまでか、映画は二本立てが多かった。また、一度 入場料を払うと繰り返し見ることが出来た。
お気に入りの映画を繰り返し観て 外に出ると真っ暗・・・夢中になりすぎて夜である。時計を見ると・・・!!??
二人とも血相変えて、急いで車で帰る(当時は2、3時間ほどかかったらしい)・・・遠くに見える玄関先に何かが立っている。
近づくと 静かに一言・・・「今、何時だと思っている?若い娘が危ないだろう!こんなことなら博多には行かせないぞ!」。
そう・・・玄関先に立っていたのは・・・
箒を逆さに持って仁王立ちで待っていた祖父(母の父)。
母は流石に この時は心配をさせてしまったと大後悔したらしい。それ以来、お友達とは繰り返し観る回数を決めて観ていたと。
当時の祖父と母の姿を思うに、微笑ましい光景である。
映画館というと・・・何故か この思い出が一番に出てくる。
・ 時代背景が戦後のちょっと落ち着いた頃で、若いお嬢さんが夜遅くは大変危険だったらしい。そして 若いお嬢さんが日が暮れて帰ることに厳しい時代でもあるため、母世代のお嬢さんたちは日が暮れて帰ることは本人はもちろん、ご近所さんから厳しい目で見られる時代で 夜遅くは戦々恐々な心境だったと。裸電球の照明がポツリ ポツリしかない 殆ど暗がりの時代。現代の私でさえも・・・ちょっと恐かったかもしれない。