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敗北宣言の その先に・・・

昨夜 番組名と正確な質問内容は忘れたが、IT業界の大物M氏にTVスタッフが こんなことをきいた。

スタッフ: ヤフーとラインが連携して仕事をされることをどう思いますか?

これに対して、M氏:(無表情のまま) ・・・どう思うって?・・・考えないようにしている・・・。

TVスタッフや視聴者は、この答えをどう 捉えただろう。「野暮な質問をするもんだ!!」と私の口からポロリ。ライバル社がやることを目に耳にして気にしていたって、何にもならない。そんなことをする暇があったら、他の戦略を考えている。先を先を考える。仕事をする・・・生きていくということは、そういうことだ。こんな質問に答えるくらいなら、美味でも食べる。私の勝手な予想だが、M氏は(あきれてしまって、)本当は答えたくなくて無言でいたかったのでは・・・と思った。

ただ 質問をした若いスタッフの気持ちも、わからなくはない。 私も とても若い頃 周りが気になってしょうがなかったし、恥ずかしいことだが真似ていた。しかし、真似て得た成功より、独断で考え進めたことの成功のほうが多いことに気が付いて、それが面白く周りが気にならなくなった。これは、ある程度の経験を踏んだからだともいえる。

しかし・・・

どうしても、越えられないことがあることに気が付いた。これは、敗北宣言である。

「絶対 〇〇の言ったようにはならない」と思っていたことに、始終する。(悔しいことに、残した言葉どおりになる。)それは・・・

先人たちの経験である。残した言葉である。これは、どんな方も同じ思いかもしれない。老若男女、世代、様々な職業・職種・・・良し悪し問わず 全てにおいて、どんな位置に立っていても、先人たちの残した言葉どおりに・・・

行きつく。なってしまう。

先人たちの残した知恵が助けてくれることが多い。先人たちの前では、無力である。小ささを感じる。書道家 篠田桃紅さんが、こんなことを言っている。

人の運命は、既に位置付けられている。その運命に素直にのることである。

先人たちへ 敗北宣言である。しかし、この先にもあるのだから、人生 楽しまなければならない。M氏が最後に言った言葉が胸を打つ。

日本を変えなければならない。

50代になってから聞くこの言葉は、重み・深みを感じる。微力でもいい、何らかの形で世の中の役に立たなければならない。先人たちも、同じ思いだっただろう。