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記憶の曖昧さを自覚した出来事

私がnoteを始めて約1ヶ月がたちました。
2日に1回程度の頻度ではありますが、こうやってアウトプットの場を増やすことで、頭の中が整理されていく感覚をつかむことができました。

また、定期的にアップロードするためには、インプットの量も質も高めていかなければ、すぐに枯渇してしまうなということも感じています。

さて、そんな中今日は若かりし自分のアウトプットの記憶がいかに曖昧だったかを実感する出来事がありましたので、恥ずかしながら紹介したいと思います。

ある研修会での謝辞

私のいた地域では若手の研修会が盛んでした。強制ではありますが、初任から5年目までの教員が集められ、定期的に研修の機会を与えられていました。
今思えば、恵まれた環境ではありますが、当時はそれがとてもしんどかったのも事実です。
学級が安定しない中、学校を空けて出張に行くのですから、研修会が終わるたびにヒヤヒヤしながら学校に連絡をしていました。

話が逸れたので戻します。
その中のある研修会で私は講師の先生に謝辞を言う役割を受け持つことになりました。
私が謝辞を述べたのはその時が唯一なので、話をした内容もとてもよく覚えています。

誰かの名言

私はその中で、名言を引用をして謝辞に盛り込みました。
その名言が「子どもは未来からの旅人、元いた時代に戻してやらねばならぬ」です。

そして、その名言は今まで『大村はま』先生のものだと勝手に記憶していました。
・その研修会が過去の先輩方の実践に学ぶ内容だったこと
・その時期に大村はま先生に関する著書「教師大村はま96歳の仕事」と「大村はま 灯し続けることば」を買っていたこと

以上の理由から、脳内でその研修で大村はま先生の実践から学び、その謝辞に著書からのことばを引用をしたものだと認識していたのです。

しかし、先日本を整理していたところ懐かしいこの2冊の本に再会しました。せっかくなので10年以上ぶりに読んでみました。
すると、どこかにあるはずの先ほどの名言がどこにも見当たらないのです。

焦って、ChatGPT先生にも尋ねました。
しかし、そのような名言を残した人物はいないとの返答がありました。

私は一体誰の名言を引用したのでしょう?
もしくは本当にその名言を言っていたのでしょう?

考えれば考えるほど怖くなってきました。
こうして記憶は過ちさえもあたかも自分の過去の出来事かのように刻み込んでいくんだな、と怖くなりました。

子どもは未来からの旅人、元いた時代に戻してやらねばならぬ

一体、この言葉は何なのか・・・
もしこれを読まれた方で心当たりの方がいらっしゃいましたらコメントで教えていただけると幸いです。

大村はま先生の慧眼恐るべし

それはそうと、約10年ぶりに再読し、衝撃を受けました。
著書の中で大村はま先生が述べられていることが、令和になった今まさに多くの方に届いて欲しい言葉で溢れていたからです。

よく教育界では不易と流行という言葉がよくでてきますが、不易にあたる部分が多く書き記されていました。
きっと当時の私には届いてなかったであろう視点が多く、学びが多くありました。
最終的には、自分の頭のポンコツ具合がわかったのとでもそのおかげで新たな視点で本を読めたのとで、トントンかなと思った出来事でした。


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