HSPは欠点なのか?
HSP子育て実験中「月と喜び」です
見てくださってありがとうございます
今回はHSPと知った後の社会復帰
HSPだから仕方ない
息子を出産後、自分のHSP気質に気付き
その後すぐに考え方が変わったわけではない
寧ろ家族にはHSPという盾を手に入れて
傲慢になっていたのかもしれません
当時はHSPは欠点だと思ってた
「HSPだから仕方ない」
そんな風に以前にも増して
「危ない橋は渡らない」
そんな風に暮らしていました
息子が1歳の頃
「育児中には土日祝休みの事務職しかない」
初めての事務職
社長からのパワハラにあった
「37年どうやって生きてきたんだ!」
母業をまともに出来ない自分を隠してきたのに
5年ぶりに社会復帰したら
職場ではコレまでの生き方まで否定された
毎日浴びせられることば
帰宅中に何度も泣いて
「辞める」と言えば優しくされて
それを数ヶ月ごとに繰り返した
そして
その負の連鎖は弱い方へ
子どもたちへ向かった
いつしか浴びせられることばを
子どもたちに投げつけるようになった
休日は出かける気にもなれず
職場の近くを通ると動悸がした
それでも
「ワタシが辞めたら代わりがいないから」
と我慢して1年3ヶ月が経つ頃
オットが言った
「仕事を辞めてほしい」
「ダメなら俺が電話する」
そのことばに後押しされて
3度目の正直で退職した
好条件で残るように言われたけど断った
なんと言われても青い鳥を探したい
最後に履き捨てられたことばは
「そう言うのを青い鳥症候群と言うんだ!
どこに行っても同じことだ!
どうせ続かない!!!」
そこから退職日までの期間は
それまでより当たりがキツくなり辛かった
予定より2週間早く
「明日から来なくていい!」
そう言われた日の帰り道
空にはダブルレインボーがかかっていた
あのビクビクした日々から
抜け出せる喜びで
その虹を見ながらまた泣いた
あの虹がワタシへの祝福に思えた
その頃の子どもたちの成長の記憶は
ほとんどない
今思えば
鬱だった
子どもたちの記憶に残るのは
キッチンでもいつもお酒を飲み
いつも怒っているお母さんだった
愛着関係を築く大切な時期を
「働かなければ…」
と言う思い込みに費やしてしまった
ワタシは無知で経験不足だった
怒られるのは仕事が出来ないワタシが悪いと思っていたし
途中で辞めるのは無責任だと感じていた
その思い込みで
子どもたちとのかけがえのない時間を失った
ワタシの無知が同時に子どもたちの
無邪気な幼少期の笑顔も奪った
ソクラテスの言う通り
無知は罪だ
ワタシの無知は子どもたちを傷つけた
逃げる勇気を持つ
数ヶ月後
引き継いだ方から
「鬱」の診断をされて
退職したと連絡が入り
ワタシはココロのどこかで
ホッとしたのを覚えている
「ワタシがダメ人間だからじゃなかったんだ」
あの連絡がなければ
母になり子育てにも自信がない
仕事も続かなかったワタシが
次の就職を探すコトは
なかったかも知れない
自分のココロを守るために
時にはその場所から
逃げ出す勇気が必要
ワタシに足りなかったのは
その勇気だったのかもしれない
あの時のオットのことばがなければ
ワタシは辞める覚悟が出来なかったと思う
小さな子どもたちは
親が居ないと生きていけない
それがたとえどんな親でも
大抵そこから逃げだすコトが出来ない
せめて
子どもたちへストレスの矛先を向けてはいけない
親にはその覚悟が必要
仕事でのストレスを
家庭の中で発散するくらいなら
思い切って逃げ出そう!!!
考えるのはその後で大丈夫🌱
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