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今年も新米の季節になった 長狭米の新米を心待ちにする今日この頃【KOZUKA 513 shop paper vol42 2022/10】

1年前のちょうど今頃の記事。
今年も、9月中にはほとんどの田で稲刈りが終わる。稲架掛けされていた稲も脱穀され、田んぼは秋冬の静かな景色に様変わり。大山千枚田はもう一度草刈りがあるのかな、「棚田の灯り(ライトアップ)」のために。
それにしても季節の移り変わりは早い。ショップペーパーのバックナンバーを毎晩連続でアップしているせいもあるけど、本当についこの前まで春だったような、夏だったような気がしている。

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稲懸けて里しづかなり後の月  蓼太
 
大島蓼太は 与謝蕪村などと時代を同じくする江戸時代の俳人
「後の月」は晩秋の季語で 旧暦9月13日(十三夜)に見える月
旧暦8月15日(十五夜)中秋の名月を初名月と呼ぶのに対応している
いわゆる「豆名月」「栗名月」で 2022年の今年は10月8日
 
近くの田んぼはすっかり稲刈りが終わり
ちらほらあった稲架掛けも見られなくなった
稲架掛けと言えば 大きな稲作地帯では
とっくに見られなくなってしまった風景で
山間の小さな田で少しだけ天日干しが見られるくらい
それと ここ南房総では田植えも稲刈りも何もかもが早いので
後の月まで稲架掛けが残ることはほとんどない
それでもこの句を読むと
煌々と名月の照る棚田の一枚一枚の田に稲架掛けが照らし出されて影を作る
そんな豊かな静けさは容易に目に浮かぶ
 
「しず(か)」と読む漢字が思いのほかたくさんあって驚く
「静か」「閑か」「謐か」「寥か」「惺か」
表す意味あいが違うのだろうけれど 寂しさも穏やかさも
いろいろな感慨を込めて「しづかなり」なのだな と一人納得する
 
9月23日の秋分の日を境に 少しずつ日が短くなってきた
夕日も心なしか弱弱しくなったような気がする
夜長をどんなふうに豊かに過ごそうかと 心を巡らせる季節
新米に合う総菜や 暑さ名残の冷酒や燗酒に合う肴
味覚を存分に楽しみたいと思う季節
心豊かにする何かしらに出会えたらいいな と心躍る10月
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もうすぐ、千枚田の新米がオーナーに配布される。今年は何kgかな?やっぱり新米は嬉しい。普段使っているお米も地元の農家さんから仕入れているおいしい「長狭米」だけど、田植えから稲刈りまで手をかけたお米はまた格別。

自分は東北の出身で、父親の生家は大きな農家だった。米作りはもちろん、たくさんの野菜を作っていたし、牛、豚、鶏も飼っていた。馬もいた。
米は「庄内ササ」と呼ばれるササニシキだったと思うけど、こんな話を聞いたことがある。分家は山間部に移り住み、そこで稲作や栗の栽培をしていたそうだ。米は当時は協同組合に納めるのだけれど、分家が作る山間部の棚田でできた米は粒が小さく、組合では安値で買い取られることになるのだという。ところが、棚田の米は土質や水質が平野部に比べて格段によく、米の味はずっと上なのだとか。そこで、分家は棚田米を本家に納め、本家はその分の米を分家に代わって組合に納めていたのだという。
分家は通常の代金を得ることができ、本家は山間部の美味しい米を食べることができる。なるほどな、と思う。

「長狭米」についてこんな話を聞いた。長狭街道に沿って加茂川という川が流れているけれど、これがたびたび氾濫したらしい。(ついこの前の台風13号でも危険水位に達している。護岸工事がなされた今でもそうなのだから、昔は頻繁にあったのだろうと思う)氾濫するたびに、川の水は土砂を周辺の田に流入させる。
米作りには粘土質がよいとされるから、たびたび土砂が入り込んだ田の土質は落ちてしまう。だから、本当に長狭米と呼べるのは、土砂が流入していない山間部や棚田の米なのだとか。これは地元の方に聞いた話。
今、店で使っているのは、大山千枚田で採れた米(10~12月ほどの期間限定。これは主に宿泊客用)と、平塚地区の山間部の農家さんから仕入れたお米。「長狭米」のおいしさを毎日味わっているのだ。

究極の新米の味わい方。幼い頃に父親の生家で味わった。竈の羽釜で大量に炊きあげた熱々の山間部の新米に、鶏舎から採ってきた産みたての卵を割り入れて少しの醬油をかけて食べる。みるみるうちに卵が固まって「サラサラ」なんてものではなく「ふっくら、ねっとり」してくるご飯をかき込む。
そんな贅沢は今ではとても難しいこと。

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