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死んだ仔の歳を数える

今日、10月16日は看板犬「開」の誕生日だ。
この8月25日に虹の橋を渡った開は、生きていれば今日が16歳の誕生日。

迎えたときの開

開はとてつもなくいいヤツだった。
飼い主を愛し、飼い主に関わる家族や友人をくまなく愛し、
公園や道端で出会った子どもに耳を引っ張られしっぽをつかまれても、
決して吠えたり噛んだりせず、困惑した顔で飼い主を見上げる
そんな優しい犬だった。

2019年にcafe&guesthauseを開業してからは、
店の玄関横の芝生でお客さんを迎えもした。
某放送局の、もふもふ系の番組にも動画が採用された。


開が笑う
表情豊かなヤツだった



看板犬の飼い主だった共同経営者に、
「今日は(店に)泊れば?」と言った。もらわれてきた頃の開を知る友人同士で偲ぶのもいいかなと思ったのだけれど、彼は「帰る」と言って店を後にした。そうか、家にいる開の遺骨や写真の前で一人で飲んで泣くんだな。察したから、普通にまた明日と言って見送った。


「死んだ子の年を数える」は、
「今さら言ってもどうにもならない過去のことを、くよくよと思い煩うことのたとえ」と言うけれど、そんなんじゃない。
どうにもならないなんてことは十分に分かっていて、それでも年を数える。
「生きていたならば・・・」と、もしかしたらもう数日、もう数週間、もう何か月、もう何年かあったかもしれない日々を想像もするし、
それは叶わなかったにしても、過ごした日々のかけがえのなさを改めて思うし、
なによりも、自分が「忘れないこと」こそが、先にこの世を去った命を慈しむことだと思うから、「生きていたら」と命を数える。


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