「僕の母」③
【1月1日(後編)】
父が帰ってきてから、父は母に対してたくさんの思い出話を語りかけていた。
ときには僕に語りかける形式を取りつつも、新婚旅行のことや、それ以外にも旅行で行った場所、一緒に食べたものなどたくさん語りかけていた。
父は日頃理路整然とした人であるので、このような姿を見ることは今まであまりなかったが、不器用ながらも愛に溢れた父の姿をこの時に僕はしっかりと見ていた。
3人で見た1日の朝の初日の出から長く時間は経ち、母は服薬している睡眠薬を飲んだ。
僕も自分用の睡眠薬(リボトリール)を飲み母に「それじゃあ薬飲んだからさ、おやすみ。また明日ね」と伝えた。
母は「おやすみ」と最後の挨拶を返してくれた。
【1月2日】
リボトリールという薬は非常によく効き、いつもであればぐっすりと眠りにつける。
しかしこの日は、こんなタイミングに限って、最悪の中途覚醒が起こった。
ここからが二日間に及ぶ夜戦の最終局面であり、もっとも凄惨な闘いであった。
1月2日の深夜の二時頃、僕はなぜか目が覚めた。
どうして「なぜか」という表現を使うかというと、起きた時には寝ぼけ眼で意識が霧中であったためである。
しかし直後にそんな優しい時間は消え失せる。
これまでに感じたことのない痛みを左足に感じ、僕は痛みのあまりに声を上げた。
母を心配させるわけにもいかないので僕は必死に声を抑えようとしたが、どうしても抑えられずに声が漏れてしまい、それを聞いた父は看護師さんを呼んでくれた。
看護師さんはとても優しい人であり、僕の足を見て「痛風かもしれませんね」と伝えてくれた後に応急処置をしてくださった。
このおかげで痛みは引いてきたのだが、やはり痛いものは痛い。
そして僕自身も風邪を引いているため、抑えきれない咳がこぼれると連動して足にも激痛が走る。
そんな中、母の酸素濃度が急に下がり赤い光と共に生命の警笛が室内に鳴り響く。
悪魔だ。悪魔がいるとしたら今まさにここにいるだろうと思った。
父は母の顔を覗きながら「大丈夫だよ。またうちに帰ってきて美味いものをたべるんだよ」と伝える。
僕も激しい痛い身に包まれた足を引き摺りながら母の元へゆく。
僕は『いよいよ最期だ』と思った。
母は意識があるのだか無いのだかもはや確信は持てない
しかし、目は開きかすかにこちらを見ているような気がする。
父は必死に母に語りかける。
そして、この時の言葉を思い出すと今でも泣きそうになってしまうのだが
父は母にこう伝えた
「よくがんばったんなぁ。苦しいのによくこんなにがんばって。いい子だったなぁ」
「また一緒に出かけような。また結婚しような。今度は元気な体でな」と伝えた。
僕はこの時の父の姿を一生忘れることはないだろう。
僕が見てきた父の中で、間違いなく一番格好よかった。
あの理路整然とした、冷静沈着で無口な父がそんなことをいう。
人は心の底にいつも胸に秘めている思いがあたたかく眠っているのだ。
僕は母の手を握り、頭を撫でながら語りかけた
「小さい頃風邪ひいたりすると、いつもこうやってくれたよね」
一瞬の静寂の後
「すこし寂しいけれども、そのうちまた会おうね」と微笑みかけてまた頭を撫でた。
警笛は鳴り止んだ。
医師の方が駆けつけ聴診器や瞳孔の確認をする。
「ご臨終です」
母の手を握りしめる僕や父を前にして
やるせない表情を浮かべながら、先生はそう伝えてくださった。
1月2日
朝6時
母は魂の世界へと還っていった。
【それから】
母があちらへと旅立ってからすぐ、一人になりたかった僕は父の車に乗せてもらいアパートへと帰った。
これまでこのエッセイを読んでくださった方はもしかしたらお気づきかもしれないが、僕は最期の時であっても母の前で一切泣いていない。
この時に限らない。僕は自らの涙を全て胸の内にしまい込み
その代わりに微笑むくせがある。
そうして涙との長い戦いが終わり
疲れから解放されるためにアパートで一人昼寝をしていると
驚くことに夢の中に亡くなったばかりの母が出てきてくれた。
「生き返ったの!?」と僕は驚きながら
母の元へ駆け寄ると
その表情は優しく
そこには元気だった頃によく見せてくれていた、あの明るい笑顔があった。
母はなにを言うわけでもないが
「泣いてもいいんだよ」と言われた気がして僕は母に抱きつき泣いた。
その優しい両手と胸にうずくまりながら思い切り涙を流した。
そうして「ありがとうね。最高の母さんだったよ」と泣きながら
子供のように泣きじゃくりながら精一杯心から伝えたかった想いを最後に母に伝えた。
ちょうどその言葉を伝えた瞬間に僕の目の前に白い天井が広がった。
「夢か」という虚しさは僅かにあったものの、それよりも僕はもっとすっきりとした気持ちだった。
「魂の世界から最後に会いにきてくれたんだ」
母からの大きな愛情と同時に
魂(或いはそれに準ずるなにか)の存在を確信し
強烈な足の痛みを引き摺りながら、僕は生活に必要なものの買い出しへ向かった。
【いってきます】
令和7年1月9日
母は骨になった。
少し冷たい風が吹く木曜日に
母はついに骨になった。
お別れ会で眠る母の頬や額を撫でると
氷と同じ質感の冷たさになっていた。
温泉が好きだった母に、この冷たさはさぞ辛いことだったろうなと思った。
焼かれてしまうにしても熱すぎてはかわいそうだから、温泉と同じくらいの温度を感じさせてあげてくれと、何者かに願いを捧げた。
母に「ありがとうね」と本当に本当の最後の別れを告げる。
二時間よりすこし少ない時間を超えた後
母は、灰を身に纏った真っ白な骨となり、近くには母と共に駆け抜け続けてきたペースメーカーの残骸が佇んでいた。
納骨が終わり、骨と遺影を持って父の車に乗り3人で実家に帰る。
車の中で過ごす時間は、小さい頃に3人で旅行へ行った時のようだった。
父と一緒にご飯を食べて、その間には妙に和やかな時間が流れていた。
食べ終えてすぐに、休む間もなく僕はアパートへと帰る準備を始める。
「今度から帰ってきたらがんばったこととか、良いこととかを逐一母さんに報告するよ、そうしたらきっと喜んでくれると思うから」と僕が言うと
「そうしてあげてくれ。そしたら喜ぶよ」と父は短い言葉で僕に返答する。
祭壇の前に眠る母に父が言う
「じゃあちょっと穂高を送ってくるよ、待っててね」
僕も手を合わせて
「それじゃ行ってくるよ。またそのうち帰ってくるから。それまでがんばってきます。」
いってきます。
そう告げて玄関を出ると、青空が優しく広がっていた。