かくれんぼ
おとなだって
かくれんぼ
好きなんじゃないかなあ
子どもは
家の中でも
外でも
ホンキでかくれる
おとなはマアマアでやってるから
楽しめないんじゃないか
少なくともぼくは
いつもかくれんぼしたがっている
叶うならば
いく部屋も複雑に配置されている
庭つきの
大邸宅に暮らしたい
庭には大きな樹木が
たくさんある方がいい
気が向かなければ
姿を現さず
どこかに潜んでいたい
誤解のないように付け加えると
ずっとかくれていたいわけではない
外界に出たいという気になれば
わりと潔く出現する
たまには社交的にふるまうけど
長時間は無理だ
しぼんでヒラヒラになってしまう
そんなときにはとりわけ
かくれんぼが好きになる
呼ばれても出て行かない
でも
現実の暮らしでは
かくれるとこなんてどこにもないから
すぐに明るみに引き出されてしまう
アハッ
ミーツケター
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先週の金曜日には、
私の暮らす地域にも雪が降りました。
車のフロントガラスに風に吹かれてくっついてくる程度で、
積もるような雪ではありませんでした。
それでも、体の芯を震えさせるような寒さでした。
大雪に降りこめられた地方のみなさんは、
たいへんな思いをされたことでしょう。
去年の11月下旬に不忍池を訪ねたときに、
その近くの旧岩崎邸庭園にも立ち寄りました。
お上りさんの私が、洋館、和館、庭園、撞球室などを
ぷらりぷらりと見学しました。
そのときの印象から、今回の詩が生まれました。
田舎にあった私の生家はもうなくなってしまいましたが、
広い庭や畑、離れなどがあったので、懐かしく思いました。
もちろん大豪邸の旧岩崎家とは雲泥の差です。
愛知県と静岡県の境にある、
西から東へと連なる丘陵(弓張山地または湖西連峰)
とその景観、住環境を、
住民無視の高架産業道路建設(二川ルート)から守りたいという活動に、
地味(地道ではなく)に参加しています。
産業道路が地域のなかに建設されても、
国や県が必要と判断したものだで、
仕方がないのう。
と思っている住民も少なくないでしょう。
でも、取り返すことのできないものもあります。
その1つに、地域の景観の美しさがあると思っています。
もちろん、景色がちょっとくらい悪くなっても住みやすくなれば、
と言う人もいるでしょう。
(この道路建設の場合は、住みやすくもならないのですが。)
地域の景観の美しさとは何か?
について、考えてみたいと思います。
<<美しい街とは、個人の趣味や主観の問題ではなく、
その地域の人々が共有し、来訪者にも認められた、
地域が共有する価値である。
個人レベルの次元を超えて客観化されている、
景観の美しさがある。・・・・・・
ただし、「客観的な」とは全国一律ということではない。
景観はそれぞれの地域の個性であり、
他の地域が真似ることのできないものだ。
全国には異なる多様な美しさや個性があり、
定型化された価値基準で画一的に論じることはできない。>>
(『まちづくりと景観』田村明著 岩波新書 p32-p33)
私は、自分の住む町(二川地区)に、個性的な景観を認めています。
また、来訪する多くの人にもその景観の美は評価されていると思っています。
「浜松湖西豊橋道路」二川ルートは、
二川地域が備えている「個性」を損なう計画ではないかと思い、
反対しています。
このことについては、ほかの機会にあらためて述べるつもりです。
ご興味のある方は、
「浜松湖西豊橋道路を考える会」のホームページを覗いてみてください。
県に提出したメンバーの「意見書」も読んでいただけると、
私たちの思いがあなたに伝わるのではないかと思います。
地域の風景写真なども紹介されています。
よろしければご覧ください。
来週も水曜日か木曜日に更新する予定です。
また見に来てください。
私もみなさんのページを訪ねて、楽しみたいと思います。
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noteへの投稿から生まれたフォトポエム集です。