岩屋観音の来歴 2
豊川(とよがわ・東三河に流れる河)に橋を架けよ
幕府の命令を受けた
江戸の大工の茂平(もへい)と弟子の善右衛門(ぜんえもん)
工事に取り掛かったものの
困難にぶち当たり
行き詰まった
岩屋の観音堂にふたりは籠り
橋の完成を祈願した
7日目の夜
川に1本の縄の流れていく夢を見た
明くる日
現場に駆け付け
川に縄を張り渡したら
水流で縄が弓形になった
その曲線を見ながら
橋の反り具合を考案し
ついに吉田大橋を完成させた
江戸に帰ったふたりは
岩屋観音様のお陰だと
3メートルほどの銅製の聖観音立像を
岩屋山の頂きに祀った
観音像の台座には
「明和二乙酉年 江戸下谷講中」
と刻まれている
1765年建立
遠江と三河を結ぶ東海道の要所にあり
岩屋観音信仰が遠国に広まっていたようだ
もし行基が見たら
亀の甲羅の上に観音様がお立ちになったと
喜ぶだろうか
いま眺める観音像は
実は2代目だ
太平洋戦争中に初代は供出された
戦後5年経って
背丈が60センチほど伸びて
戻ってきた
人の苦しみを救済する観音が
人の命を奪う兵器に変えられた
こんな戦争の時代が
2度と来ないよう
濡れ仏を仰ぎながら
願っている
(つづく)
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猛烈な台風が南の海上からゆっくりと接近してきています。
列島縦断の恐れもあります。
被害が少ないことを願うばかりです。
今週は、わが地域の岩屋観音シリーズの2回目です。
この景観が、経済優先の国策によって
高架産業道路にさえぎられないように
地味に活動しています。
関心のある方は、
「浜松湖西豊橋道路を考える会」のホームページも覗いてください。
来週も水曜日か木曜日に更新する予定です。
また見に来てください。
私もみなさんのページを訪ねます。
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