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本当はどうしたいの?
私は子どものころからこの質問が大の苦手だった。
漠然としすぎているし、なんて伝えていいのかわからないし
自分の本音を言葉にするのは難しかったから。
どう伝えよう、
体感として感じるものはあるのに(ドキドキしたり、喉がぎゅーっとなったり。)でもそれを言葉にできない、なんて表現したらいいのかわからない。
そんな状態な私が「本当はどうしたいの?」「どうしてほしいの?」
と聞かれることは拷問であった。
(どうしたらいいのか分からないから
聞いてるんじゃん!!)
この言葉だけは心の中にははっきり出てきているのに、
言語化できるこの本音もいつも声に出せなくて代わりに涙がでる。
「泣いてばっかりじゃあ分からん!!」
とよく母に怒られてさらに傷ついていた。
(私だってわからんよ!!)ってまた心が叫ぶ。
やっぱりこれも声に出せなくてさらに涙があふれる。
さんざんまくし立てておいて、心の中に他者がドカッと
入ってくる。「で?どうしたい?」って投げてくるイメージ。
私はこの質問をされるたびにイライラし、
(どうせわかってくれないんでしょ)と心を閉ざした。
「本当はどうしたいの?」「どうしてほしいの?」
この質問は”雑に扱われた!呆れられた!”という思い込みだったと
気がついた昨日。
友人の話を聞いていた時にふと、
定期的にお世話になっているメンターさんのように
なってみようと思った。
今の私がどこまで他者のことを理解できるのか興味があったのもある。
聞き始めると、彼女の中の世間的な常識、SNSで見つけた他人の格言集
友人から言われた言葉。それを掛け合わせて
”自分が世間的におかしな状況であるということは分っている!”
でもどうしようもない、抜け出せないと言っていた。
”言語化できないけど行動を起こしている「本音」”という核があるのに、
それを否定する彼女の中の”言語化された「世間的な常識」という言葉”で「本音」を何層にも囲っているイメージが出てきた。
(否定する言葉を自ら見つけに行き、
”世間的におかしな状況である”証拠集めをしているなとも思った。)
話を聞いたところで私からポロっと最初に出た彼女への返事が
「本当はどうしたいの?」だった。
「いや、そこが全くわからない。そこで悩んでいる。」と彼女に言われた。
「じゃあ、もしその枷になっている全部がなかったら?」と聞くと
彼女は自身が思う世間的な常識をもう一度話始めたあとに
「本当は○○してやりたいんだけどね」こぼれるように言葉が発せられた。
さらに「周りのアドバイスは自分の先(未来)を保証してくれるものではない」とも出ていた。
おおっ、出てきた が素直な感想だった。
人はこうやって本音を話すんだな、本人が一番わかってるじゃん。
まさに”自分の中に答えはある”だなと思った。
私はプロのメンターではないので、
彼女がスッキリしたかどうかはわからないし、
彼女自身がその本音をこぼしたことに気づいているのかも不明だけど、
今私が話せることはここまでだなと思い
「最後は自分がどうしたいかだよ」で会話を終わらせた。
今日の朝、
自分がいらだちを覚えるほど苦手としていた
「本当はどうしたいの?」「どうしてほしいの?」を友人に聞いたこと
について気づいたことがある。
まずこの質問に対して私は
・”雑に扱われた!呆れられた!”
・”どうせわかってくれないんでしょ”
・”答えはでない!満たされない!”
という強い思い込みを子どもの時からもっていた。
大人になって、メンターさんに聞かれる時には
「この質問されるの、苦手なんだよな~」と思いながら話し続けると、声に出す前に一度自分を引き留める言葉がある。それも話すと「今のが本音だったね」と言われて「あっ」と気づく体験をしてきた。そうだったんだ、
”わたし” はこう思っていたんだと、
「腑に落ちる、落として心から理解する」ことによって起こる、
心が軽くなる体感の心地よさを何度も経験してきた。
ここは私の課題点で言葉にする声に出す経験をつまなければいけないところ。
いつもは聞いてもらう側だからわからなかった。
自分が質問者として誰かに聞いてみて分かった。
「本当はどうしたいの?」「どうしてほしいの?」
を耳できくと一度自分の頭の中で
「本当はどうしたいんだろう?」「どうしてほしい?」と
言葉をくりかえす。するとそれは自分自身への問いかけになり、
答えを探そうと、そこへ意識を向けることができ、
時間はかかっても言葉にでるものなのかもしれないと
私にはしっかりと腑に落ちた。
他人から言語化された言葉を当てはめるのはとても簡単で
自分で言語化をしなくても良いという「わからない」不安から
その瞬間は抜け出すことができるテンプレートみたいで
便利なものだけれど、
結局自分の本音とは
違うのでまた「不安」が戻ってくる、
かえってそれはとても遠回りに思えた。
こうして答えはちゃんと自分の中にあり自分の気持ちを言語化した方が
一番しっくりきて、体感としても安心できる答えを言葉にすることの方が
心地いいと理解できたので
私はこれまでより一層、自分の中に意識を向け言葉にしていこうと思った。
大きな気づきだった
聞き手側と話す側両面の経験の大切さも知れた。