映画「犬王」の"余白"、「重盛」を考える|映画「犬王」考察①🐶
みんな、映画「犬王」見届けましたか???😢
泣いた?😢😢😢😢😢😢😢😢😢
泣いた~~~~~~!!!!😭😭😭😭😭😭😭😭😭
まさか、、、あんなに美しい友情の物語だったとは!!!!!
良すぎて3回観に行ってしまった~~~!!!!!!!!
そして小説も買ってしまった~!!!!!!
しかも1週間ぐらいで読み終わってしまった~~~!!!!!
3回観て3回ともいろんな発見があったんだけど、
小説の方を読んで「もしや…?」と考えたことがあって、おそらく「そう」なんじゃないかと思ったことを書いていきたい👇
今回の記事は2部構成の第一弾で
、(もしかしたら第三弾も書くかも。第二弾書かずに失踪するかも。)
今回は、映画「犬王」では演じられなかった演目について考えたことを衝動的に書いてみた。
あくまで私の考察の域を出ないんだけど…一個人の感想+考察ってことで読んで!!
ネタバレあります!こういう人だけどうぞ!👇
映画しか観てない人の中で、「小説はもう今後読まないかな~」って人
映画も小説も観た、読んだ人
映画も小説も観てない、読んでないけどこういう解説記事から入る系の人
そんじゃさっそく😚
演目「重盛」って何の話してんの?
映画みた人、全員これ👆思ってるでしょ。
「重盛」なんて演目なかったが????
そ、、、そうなんです、、、そうなんですけど、、、いったん!
いったん私と整理しよ??🙏🙏
演目なにあったっけーー??
映画で犬王と友有が演じた演目は3つ。
①腕塚
②鯨
③竜中将
犬王は演目を終えるごとに、自身の本来の身体を少しずつ取り戻していく。
でも小説の方、『平家物語 犬王の巻』には、
腕塚の前にもう一つ、⓪重盛 という演目をやっていることになっている。
小説、これね👆
この中に、こんな記載があんのよ。👇
この記事は、この「重盛」という失われた演目について書いた。
この⓪重盛 という演目の内容をかいつまんで下記に引用して説明👇!
ちょっと解説もいれつつ…
そんじゃいっくよーん!!!!!!!!!!!!
↑読んだ??
ちょっと解説(?ってほどでもないけど)入れると、
「重盛」という演目の重盛というのはもちろん平重盛のこと。
この人はだれかというと、平家が栄華を極めた時代の中心人物である平清盛の長男で、清盛の後を継いで平家を牽引した人物のこと。
じゃあ平貞能って?
清盛、重盛に仕えた家来の中でめっちゃ重要な人のこと。
演目「重盛」では、平重盛ではなくこの家来の彼が主役らしい。
Wikipediaで調べたにわか知識で申し訳ないんだけど、、、
解説が長くなってしまうのまじごめんなんだけど、もう少し。
寿永二年って?西暦に直すと1183年。
七月下旬っていうのは、旧暦だから今でいう8月初めあたり。
の、夜が「重盛」の舞台ということになる。
平清盛が太政大臣に就任して調子こきまくってたのが1167年。
みんなが知っている、源平最後の合戦である壇ノ浦の戦いは1185年3月24日とされているので、
1183年を「平家の都落ちの年」としてある表現があるが、演目「重盛」は平家の落日を演じているということになる。
平家って基本京都で家族みんなで貴族ぐらししてるんだけど、この寿永2年の春、だから演目「重盛」の数か月前に、京都よりもっと上の方(北って言えよ)、加賀・越中国境にある倶利伽羅峠で源義仲という源氏一派に負けている。
どうでもいいけど「倶利伽羅峠の戦い」って名前かっこいいからみんな名前だけ覚えるよね(笑)
やばい!倶利伽羅峠から源氏が攻めてくる~~!!
やっぱり攻めてきた…のが寿永2年の7月。
これ、7月って書いてるじゃん?↑これ旧暦なのかな…どうなのかな…
まあどっちにしても、7月末にはみんな都落ちしてるから洛内(京都)には誰もいないわな。
でも、演目「重盛」の主役、平家の家来の平貞能は
『西八条の焼け跡に大幕を引かせて』、つまり大幕(野外の軍陣用の、仮屋を設けるための幕のこと)を用意してまだ京都にいるよってこと。
もうみんないないよー(笑)どしたー(笑)お前も都落ちせんでええのかーい。(笑)(笑)お前だけ京都残って何しとんねーん(笑)
演目「重盛」の舞台はこんなかんじの状況。
そんでそんで?
(ここからの引用文、長いので全部読まなくても概要をすぐ下にまとめてあるよ。)
ながっっっ。ながびよーーーん。
つまり、まとめたらこゆこと👇
貞能は、「平家の公達がたを待っていた」。主君とそのご家族を、都でずっと待っていた。「心細い」と思いながら。
でもそれ以上に亡き主君である重盛公のお骨を守りたいと思った。
この魂を守るべく主君の骨を掘り起こし、行脚すると誓う。
すると主君である重盛が貞能に憑き、狂乱の舞を舞わせる。
のちに貞能は誓い通り骨を安全な場所に収めるため、出家する。
これらは史実であり、実際に貞能が出家ののち、重盛公を今でいう茨城県に埋葬し、その墓としている。
(出展:https://kyoiku.pref.ibaraki.jp/bunkazai/ken-186/)
引用の中の「小松殿」というのは、「亡き重盛公」と同じ人。
つまり重盛のこと。
ここからは私見ね。
映画「犬王」では、友有と犬王で先に逝ったのは友有だ。
演目「重盛」では、重盛と貞能で先に逝ったのは重盛だ。
え。。。
これ、もしかしてさ、対応してる????
犬王と友有、重盛と貞能で、対応しているの?????
それでは、残された方の犬王=貞能 と仮定する。
これには私見とはいえ自分なりの根拠があって。。。
小説「平家物語 犬王の巻」では、犬王が次のように友有に言っている。
この演目⓪~③はすべて、犬王の話なのである。
だから演目「重盛」だけでなくすべての演目が犬王の物語、いや犬王と友有のこの先を暗示しながらストーリーが進んでいるのではないか?と思ったのだ。
そう仮定したときに、映画では語られなかった演目「重盛」は、
犬王と友有の何を暗示しているのだろうか?
上記を犬王と友有で対比させてみよう。
映画の最後の方で、犬王は友有と引き離される。犬王は、友有座の復興を願っていた。友有が処刑されたかどうか、おそらくすぐには犬王は知らないのではと思う。(友有に何かされないために、足利義満に下る描写があった)
友有が自身のもとに訪問してやこないか、琵琶を持った友有座が復活し、また俺たちの物語を舞える日を都でずっと待っていた。
それでもいつかは、「友有が処刑された」と噂を聞く。もうこの世にいない。骨や形見など探せるものか。覚えているのは、友有のいくつかある名前だけ。これを忘れないまま生きていくと誓う。
映画「犬王」の最後、友有亡きあと、目の前いっぱいに桜の花びらの舞う音のない世界で犬王が一人舞う姿が映る。かつて友有と演じた舞ではなく、足利に捧げる舞である。画面いっぱいに舞い散る花びら、つまり花の御所と呼ばれた足利将軍家の邸宅を暗示していると考えることもできる。また、桜であるのは、友有が友有と名乗ったあの宴会の場で待っていた、幹の折れた桜の木であるとも推測できる。
生きている犬王に死んだ友有が憑いて舞わせるというのはそのままの意味ではなく、お互いが離れ離れになり二人で作り上げた物語や舞が取り上げられても、友有の存在が犬王を舞わせたとも取れる。この舞は、あの音のない舞のシーンのことを言っているが、あれが犬王にとって狂乱でなくなんだろうか。(いやその考察は苦しいだろ、という意見もある…と思う。あくまで考察だから!!!)
この名前というものは、犬王の世界で非常に重要な概念である。
上記ツイート(いまはXなのでポスト?)は、映画「犬王」の監督である湯浅政明さんのメモ書きを添付したつぶやきである。
この3枚目に特に注目すると、映画「犬王」の時代において名前がどれほど重要かをうかがい知ることができる。
「名は体を表すと信じられていた」
「本名を知られるのは危険と考えられていた」
「名づける→何者か定義される→ほかの可能性を奪われる→呪」
「名前呼ばれて返事すると吸い込まれるとか」
殴り書きのように書かれたことを抜粋するだけでもこの通り。
名前についてはさておき、犬王にとっての、(貞能の)出家にあたるものは間違いなく「死」であろう。紫雲が立ったと伝えられるあの、肉体的な死であると推測する。
これについては私の個人的な知識であるが、中学校の国語の授業のときに「出家」について説明を受けた際、国語を担当する教師(この人が非常に面白く聡明で、特に古文は興味深い授業ばかりで、幼いながらに私は彼に大変な信頼を置いていた)は我々にポップにこう説明した。
「出家とはこの世の者ではなくなることである」と。
肉体は現世にあるものの、精神は仏門に入っており、現世の家族や関係者(絆(ほだし)と呼ばれる)とは出家をした時点で会わない、話さないが基本。これすなわち、出家した人は現世では死んでいる人と同義。出家すると名も変わる。現世の名は捨てるのだ。
これが、(あくまで私の考察ではあるが、)犬王の肉体的な死と、貞能の出家が対応づくであろう根拠である。
茨城にまで赴き重盛を弔った貞能だが、ここに対応するものは映画のラストに犬王と友有の描写がある。
悪霊のようになった友有を600年探し続けて迎えに行き、二人出会ったときの姿で舞い(演奏し)、空に消えていく犬王だ。空に消えた?成仏させた、自身と共にあの世に連れ立った、と見ることはできないだろうか。
演目「重盛」の評判が表すもの
…はい、長すぎて読者の皆さんが「お前の妄想終わるのまだか?」とイライラしていると思うので、、、すいません、あとちょっと。もう8割ぐらい語ったから…もうちょいゴメン!!!!
演目「重盛」の内容については、上記に全部書いた。
ここからは、演目「重盛」が当時の人にどこが魅力に映ったのか、それが何を意味しているかを先ほどの考察を踏まえて考えたので書く👇
さて、小説「平家物語 犬王の巻」には、犬王と(この時点では)友一が演じたこの演目「重盛」が、当時民衆にどのように映ったかが以下のように記されている。
当時の民衆には言わずもがな大好評。
最も民衆を魅了したのは、貞能が重盛を宿した身体で狂乱の、魅惑あふれる舞である。この舞でちらりと見えてしまう、演者犬王の異形の身体である。
重盛は友有を表し、貞能は犬王を表すとしたとき、これはどういった意味を孕むのか?
私の考察を以下に述べたい。👇
上記の記事で、小説「平家物語 犬王の巻」の作者である古川日出男さんは、この物語についてインタビューを受けてこう語っている。
「犬王」と名付けられた人物が、実は創作ではなく実在した人物であることは、映画を観た人でも知っている人、知らない人がいる印象だ。(実際、一緒に映画を観に行き小説も購入した私の友人は、小説の読後も「え、犬王って…実在したの…?😦ポカン」と言っていた)
確かに琵琶でフジロックみたいなことやってるから、あまりにも現実味がないためか…登場人物のどこからが創作でどこからが史実かはあやふやになってしまう人がいるのも頷ける。
余談だが、私個人としては、映画・小説双方において、作品の鑑賞後もなおこのような勘違いを産んでしまうこの「犬王」という作品はまっっっじで凄いと思う。
だって異形とか呪いの仮面(ジョジョか?)とか出てくる明らかに創作で~す✌みたいなストーリーなのに、「犬王って実在してたよ」って言われると「そんなわけない」ってならないぐらい、あの時代の文化や生活、人物を細部に至るまで描き切っていたということに他ならないからだ。
話を戻して、このインタビューの記事でもわかるが、犬王という人物は確かに史実に存在していた。しかし、後世に残っている犬王の情報は、
「犬王」という名である(読み方は「いぬおう」)こと
足利義満に愛されて、義満から道阿弥という名を貰ったこと
死んだとき、阿弥陀仏が迎えに来て紫雲が立ったこと
のみ。まじかよ。。。これ以外全部創作なのかよ。
これ以外の部分、すなわち友有の存在を含めた映画「犬王」のストーリー全部が古川さんの創作なのだ。世界一違和感のない創作でしょこれ…
史実を脚色して小説「平家物語 犬王の巻」が作られ、「平家物語 犬王の巻」を脚色して映画「犬王」が作られたのだ。
その意味では、犬王という作品は、史実の余白を楽しむ作品ともいえる。
さて、ここで先ほどの問に対する私なりの答。(しゃべりすぎ)(はよ言え)
演目「重盛」において最も民衆を魅了したのは、貞能が重盛を宿した狂乱の舞でちらりと見える、演者犬王の異形の身体。
重盛は友有を表し、貞能は犬王を表すとしたとき、これはどういった意味を孕むのか?
ここでいう、民衆が魅了されたという「貞能が重盛を宿した狂乱の(それでいて魅惑的な)舞にて一瞬見える奇なるもの」というのは、
友有と離れ離れになるも、友有の名を忘れずに足利のもとで舞い続ける犬王の狂気である。
犬王の本音の部分、足利や己の非力への醜い感情である。
唯一無二の友との友情であった演目の上演を禁じられ、友に会いに行くこともできない。一生を足利という鳥籠の中で、命じられた演目を舞うことで生かされる。生き地獄のような余生である。
…まって、でもじゃあこの狂気、そりゃあ犬王の胸中にはあっただろう。我々にも想像に難くない。
でも、映画「犬王」において描写があったか?
友有と離れ離れになった後、はっきりとした怨念のような、醜い醜い犬王の感情の描写はあったか?
友有亡きあとに、犬王が足利に命じられ舞うシーンは、1シーンだけある。
先にも述べた、桜がいっぱいに舞い散る中で、無音のなか一人直面で舞うあのシーンだ。
思い出してみてほしいんだけど犬王の表情はまさに「無」であったはずだ。
確かに美しいシーンだ。
ピンク色の桜の花びらがいっぱいに舞う中、化粧し着飾った公式美男子の犬王が、ゆっくりと舞う。この後足利から名を貰うほどに当時としては美しすぎる舞であったのだろう。
演目「重盛」における舞の「魅惑的な」の部分は伺える。
「狂乱の舞」は?
このシーンに犬王の狂気を見出しているのは、ほかでもない観客の我々だ。
友有と演じたあの心躍る日々を経験、いや見届けた我々が作り出した行間が、この狂気の正体だ。
映画のシーンとしては切り取られなかった、しかし必ず存在したであろう、しかし語られることはない犬王の心の内のべとべとに粘ついた黒い感情を我々観衆が補完することで、映画「犬王」における友有・犬王の絆の強さ美しさに魅了されるのである。
この図式は、
史実の「犬王」
↓古川日出夫さんの創作が余白を埋める
小説「平家物語 犬王の巻」
↓湯浅政明監督の創作・脚色が余白を埋める
映画「犬王」
↓我々観衆が、映画で語られない余白を埋める
…
👆こんな風になっているといえないだろうか?
だからこそ、「見届けようぜ。」なのではないだろうか?
次は観衆の我々が余白を埋める番だ、と委ねられている気がしてならないのだ。
そもそも映画「犬王」を観ているとわかるんだけど、
犬王というキャラクターはほぼ常に面をかぶっている。
彼の表情は、作品を通してほぼわからないのだ。
そんな犬王が一度だけ、感情をむき出しにしたシーンがあった。
みんなも思い出していると思う、身体を完全に取り戻した犬王が、足利義満に呼び出され、「もうあの琵琶法師とは会うな、あれらの舞は禁ずる」と告げられるシーンだ。
顔をゆがめて恨みを顕わにする犬王が一瞬だけ現れる。
しかしすぐに表情を変え、道化のように振る舞う。
「友有の命のためにそうするしかなかった」と映るが、
観る人によっては、
「いや、本当は保身のためにころりと足利に下ったのか?」
とも取れるぐらいにすぐにシーンも切り替わるのだ。
私自身、このシーンのあまりのあっけなさに、
恥ずかしながらこのシーンの余白を
「犬王は自分の命のために足利にコロッと寝返った」の線を捨てきれず(だってもしそうだったら…とか考えちゃうじゃん!?)悶々としていたが、
湯浅監督の下記のツイートで胸を撫で下ろしたものである…
この権力構造が、見えているようで見えていなかった。
このツイートに私は本当に救われた…
ここは、観客が、ってか私が汲み取らないといけない余白だった。
画面の端にいる足利の部下と、義満の太刀。
犬王が風見鳥のように寝返ったなんて、これを見てもなお言えようか?
私が…私が気づいて汲み取るべきだったのに…湯浅監督、読解力なくて本当にすみませんでした涙涙涙😭😭😭😭😭😭😭😭😭
んで、なぜ演目「重盛」は映画でハブられた?
ここまで犬王の物語そのものを暗示するような内容の物語を、
湯浅監督はなぜ映画「犬王」に盛り込まなかったのか?
まあ映画の尺の関係とか映画製作の予算との兼ね合いとかそういう大人あの事情が絡んでいることは重々承知…実際の理由もそんなところだろうとは思うんだけど、内容的な理由があると思う。
私は、この湯浅監督のトリミングの理由は、「犬王という物語をこの演目「重盛」で全部カバーしすぎちゃってるから」だと解釈している。
演目「重盛」のこの部分、もう一回みて。👇
これってさ、、、演目「鯨」に似てないか?
もう私が言いたいことわかったと思うんだけど、
映画「犬王」でちゃんと扱った演目は、
①腕塚
②鯨
③竜中将
じゃん?
これら①②③が揃うと、友有と犬王の行く末を暗示し切ることができるんだ。
なんとなくわかるっしょ?鯨だけじゃない。
たとえば、①腕塚って、腕を切り落とされた話だよ。
「犬王」のストーリーの中で、腕を切り落とされた人がいなかった?
これについては別で記事書くわ!(失踪したら殴ってください。。。)
そう、①②③だけでいいんだよ。
⓪重盛は、この1演目だけで内容的に①②③全部やっちゃってるんだよ。
これだと内容ダブるから、湯浅監督が⓪重盛を抜いたんじゃないかな~っていうのが私の見解ってわけ!
(追伸)ちなみに、映画「犬王」の中に演目「重盛」が完全になかったことになってるわけじゃないの!
👆のリンクは、映画「犬王」の公式グッズの紹介ページにつながってるんだけど、この中にはこんな👇商品があるんだよ。
湯浅監督は、演目「重盛」をなかったことにしたいわけではなかったんだと思う。
映画「犬王」の世界にも、演目「重盛」を舞う犬王と、それを歌う友有がいたんだね。叶うならこれも見届けたかったなあ…!
おわりに
いや~~~~~~~~この記事書いてる間中思ってたことは、
「私、考えすぎじゃねーか!?!?!??!」だったよ。。。
何度でもいうがこれは私の私見でしかないし、ただの湯浅監督のファンの小娘がない頭ひねって考えた妄想にすぎない。
古川日出男さんの創作も「余白」、湯浅政明監督の脚色、演出、省略も「余白」、そしてこの記事に書いた考察もまた「余白」だ。
彼らの生きざまを見届けた私が、またこの作品の余白を彩れたことが
よろこびだと心から思う。
…どうでもいいけど私、この記事と最初と最後でキャラ違いすぎかなあ。。。
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