『遠慮深いうたた寝』読書感想文
遠慮深いうたた寝:小川 洋子
河出書房新社によると、本書は神戸新聞連載の「遠慮深いうたた寝」を中心に約10年分の中から作家の素顔が垣間見られる、極上エッセイを厳選収録している。
1つのエッセイが2〜3ページほどでテンポ良く読むことができる。
今回は本書から2つのエッセイ「すべては奇跡」と「私に必要な忍耐」を読んで思ったことを書いてみた。
「すべては奇跡」
「当たり前のことが当たり前じゃない」、「日常は当たり前じゃない」
そんな言葉をよく耳にするし、実際そうであると私も思っている。
小川洋子さんは本書で、舞台の開演時間に遅れないように予定より早い時間の電車に乗る日常について書いていた。
一方で私自身はいつも約束の待ち合わせ時間ギリギリに到着する、家から駅までは走ってぎりぎり電車に乗ることができることが日常茶飯事。
そして自分にとってそれが当たり前。(自分では直したいと思っているが…)
こんな風に「当たり前」は人によって尺度が全然違っていて、その違いが対立や共感を招く、それがおもしろいと思う。
みんなそれぞれが持つ小さな「当たり前」が1つに集まり、それが1つの大きな「当たり前」の塊になる。
そしてその塊が日常になっていると考えると、確かに「日常は奇跡」という1度は聞いたことがある一見ありふれた事実が輝いて見えた。
「私に必要な忍耐」
ここでは日常生活でのささいな「やろうと思えばできるけど、やってはいけないこと」ついて書かれている。
私もエスカレーターを全速力で逆走してみたいという非常に危険な野望を抱く時がある。
(だがもちろん実際にしようとは思わないが。)
このような「やってはいけないこと」について考えていると、ディズニーシーのあるエリアが頭に浮かんだ。
それはポートディスカバリーといわれる近未来的なエリアである。
私はこのポートディスカバリーエリアに訪れると、物凄くわくわくする。
訪れた当時はなぜわくわくするのか分からなかったが、今回のエピソードを読むとその理由が分かった気がした。
それは “現実的”じゃないからだと思う。
おそらく今の時代の科学技術などを駆使すれば、日常生活圏内にポートディスカバリーエリアの世界観を造ることは可能だと思う。
でもそうじゃなくて、”想像”の未来だからおもしろいのだと思う。
この矛盾。実現することは可能だけど、想像の未来。
もし、ポートディスカバリーエリアを日常生活圏内に造ってしまうしまうと途端に面白くなくなってしまうのではないか。
それは、エスカレーターを逆走することが許された世界になると私にとってはつまらなく感じてしまうことと似ている気がする。
ディズニーシーのあの世界観はそのことをみんなが知っていて、無言の肯定をしているからポートディスカバリーエリアは今もみんなの憧れの世界観を持っている。
言葉にしなくても分かる、暗黙の了解で「現実的じゃないもの」をみんなが守っている。
画像出典:東京ディズニーリゾート公式サイト
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