自分の非を認めない母、自分の非がわからない母、結果、全ては周り(私)が悪いということにされる
やはり、母はツワモノ(毒親)だった。
父亡き後、母が一人寂しいと思って、私はできる限り母に尽くしてきた。
しかし、それも今日で最後になるのかしら?
母は私との約束を何回でも破る。
なぜならば、その約束を大したことないと思っているからだ。
約束を破られてばかりでは腹が立つ。
堪忍袋の緒が切れた私は、ついつい母に暴言を吐いてしまった。
そうすると、母は揚げ足取りをしてくる。
自分の言動(約束破り)を棚に上げて、私の暴言だけに重きを置き、なんならそれだけに問題をすり替えてしまい、私の批判に走る。
私は理不尽にも、母から血祭りに上げられる。
完全に論点がすり替えられてしまい、母はひたすら私を冒涜する。
あ~、いやだ、みっともない、いい大人が、下品そのもの、何の為に教育してきたんだか?恥ずかしいから親子だと思いたくない、金輪際、付き合いたくない、などなど、くどくどと私への説教(暴言)が始まる。
しかし、約束を破ったり、破ったことに対して、反省のかけらもなく、叱られて逆ギレしているあなた(母)の方が、私からしたら、いやだし、みっともないし、いい大人が、下品そのものだし、何の為に教育を受けてきたんですか?と思うし、恥ずかしいから親子だと思いたくないし、改心してくれなければ付き合いたくない。
私が母に守ってくれと約束をお願いした内容は、時間のことだ。
時間を守って下さいと言っているが、母は私を平気で待たせる。
何回注意しても直らない、だから私が怒ると、「たかが、それくらい(の時間)で。。。」と言って、被害者ぶる。
たかが?私には信じられない言葉だった。
私は母の為に時間を使っている。
それなのに、人(私)を待たせておいて、たかがという言葉を使ってくるのだ。
時間の件での喧嘩は何十回もしている。
その都度、私は注意をしてきたのに、まったく効き目がないどころか、被害者ぶって、毎度、怒ってくる。
「それっぽっちの(時間の)ことで。。。」と言ってきたりする。
それっぽっち?なんて馬鹿にしている言葉だろう。
私の時間をなんだと思っているのだろう?
母は親だから、親が子の時間を使っているというのに、子は親に尽くすのが当たり前だから、少々の時間オーバーぐらい、大目に見なさいよという態度なんである。
少々?少々ならいいのか?
そもそも、少々だったとしても、何十回、下手したら何百回も時間オーバーされてる私の身にもなってほしい。
しかし、母の口癖はこうだ。
「私は人を待たせるのが嫌いなの。」
自分をわかってない人と話すとこういうことになる。
やれやれ、ほとほと疲れた日だった。
母とは距離を置くことにした。
なぜなら、私は過呼吸を発症したからだ。
母と不仲状態は気持ちいい状態ではないけれど、私も健康に生きていかねばならないからだ。
さて、今日も生きるとしよう。