お誕生日おめでとう
どなたかが誕生日を迎えるたび、私はこの歌を思い出します。
【うた】椎名恵【作詞】林權三郎【作曲】大島ミチル【映像アニメ】アニメ:林静一【初回放送】1988年02月〜03月.
歌も素晴らしいのですが、「みんなのうた」では林静一さんの絵もとても素敵で…
でもYouTubeでは見られません。
ここで一枚だけ見つけました↓。
私はこれだけでも十分嬉しいです。
以下は「ネタばれ」要素がありますので、ご興味のある方はまずはYouTubeで曲をお聴きください。
歌詞は、好きだったひとが都会に出てしまって(多分お付き合いしていたとか、そういう関係でもなくて)、お誕生日は知っているけれどこれまで何もできなくて、そして今年のお誕生日も…
という切ない気持ちを歌っています。
私は、昔は
「この歌は好きだけど、この女の子はちょっと歯がゆいな…。好きなら好きと、はっきり言えばいいのに」
と思っていました。
私は帰国子女で、心は言葉にして伝えないと意味がない! と思っていて、実際誰も他人の心のうちなんて汲んでなんてくれないのだから、傷つくのを恐れて黙っていてはだめ、と考えていたのです。
この歌の女の子はきっと一生この気持ちを抱いたままなのだろうな、お相手だって好きと言われたら嬉しいだろうに(その気持ちに応えるかはまた別の話だとしても…)となんだかやるせないよう気持ちになったのを覚えています。
でも、だからといってこの歌が嫌いになるわけではなく、誰かのお誕生日のたびに、華やかで賑やかなバースデーソングが数ある中で、必ず思い出すのはこの「お誕生日おめでとう」。
もう35年くらい(笑)、私はこの歌とともに歩いています。
そして最近は、この「結局のところ(表面的には)何もしなかった」ことにも大きな意味を感じるようになりました。
好きな人を黙って応援する、
好きな人を限りなく自由にさせてあげる、
遠くにいて、その人がその人らしくあることを、ただただ祈る…。
近くにいないひとの愛はどんどんとうめいになって、愛というよりももっと当たり前の顔をした空や風や星になる。
そして改めて聴いていると、これは若い女性の気持ちではなくて、母親とかおばあちゃんの願いかもしれないし、必ずしも女性でないのかもしれないし、生徒を想う先生かもしれないし、ご近所のおじさんの可能性もある(笑)。
そしてもしかしたら、今は生きていない人の心、なのかもしれない。
この年齢になると自分の誕生日にまず思うのは
「母上、ご苦労をおかけしました…」
という母への感謝です。
そしてそれから夫をはじめ何人か私の誕生日を覚えていてくれる方々がいることの幸運を嬉しく思うわけですが、もしも仮にそういう人達がいなかったとしても、どこかで誰かが
「お誕生日おめでとう」
と思っていてくれているかもしれない。
空を見るたび、風が吹くたび、星が輝くたび…。
"言葉にはしないけれど思ったり思われたりする幸せ"を、そしてそれに気づかない幸せすらあることを、この曲は優しく教えてくれます。
■おまけ
私は他にも「みんなのうた」について書いていました(笑)。
1月になると思い出すのか…(^▽^;)