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帰るところがある。南相馬出身の私が地元に戻りたい理由|みなみそうまの外から
書いた人
福島県南相馬市出身。
震災後に宮城県での生活を経て、東京の大学に通う法学部3年生。
2022年夏、移住相談窓口よりみちを運営するMYSH合同会社にて、2週間インターンとして活動中。
1年半後に地元・南相馬市に戻って就職することを視野に毎日勉強中。
こんにちは。あやです。
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今回はじめてのnote投稿です。
つらつらといいたいことを書いたので
「あーこういうこといいたいんだろうなあ」ぐらいのニュアンスで受け取ってくれれば幸いです。
私の過去について軽く紹介します。
私は2001年に南相馬で生まれ、2011年の東日本大震災により避難のために「子どもだけでも。」と、私と2人の姉だけで県外へ避難しました。
9歳のことです。
その後南相馬で仕事がある父を残して母と合流し、震災後1年間で各地を転々としました。
最終的には、宮城県の名取という地に、母と2人で18歳まで住むことになります。
東京の大学に進学することを考えていた私は、高3で
「父と一緒に過ごしたい。」「少しだけでも南相馬に住みたい。」「地元に戻りたい。」
という気持ちが大きくなり、受験期真っただ中に母と2人で住んでいた名取を離れ、南相馬に戻ることにしました。
朝5時の電車に乗り、片道1時間かけて県を跨いで高校に行く日々を半年間だけ過ごし、現在は東京の大学に進学し、気の向くままに帰省する日々です。
そこまでしてなぜ戻りたかったのか。
それはもちろん家族が大好きだから。
家族、親戚が一か所に集まる場所だからです。
たまに会っていたとはいえ、震災後数年間は福島に立ち入ることを禁止されていた私は福島にいけないこと、自分の意志でみんなに会えないことが相まって、寂しくてしょうがなかったのです。
東京で一人暮らしするというにもかかわらず、家族や親戚に長く会えなかった状況で東京に行っていいのか。
そんな考えが頭を駆け巡りました。
なんで、思い切って両親にお願いし、住んでたマンションを引き払い、南相馬に戻ってきたわけです。
「南相馬にいられなかった9年間の穴を埋めよう。」そんな気持ちでした。
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いいわけ
福島県や南相馬に関心を持っている方や南相馬に移住を考えている方に対して、南相馬で住むことのよさをみなさんにお勧めするためにこの記事を書き始めてるわけですが、正直言ってしまうと南相馬出身者だからこそ、意外に良さとかなんだとかが思い浮かばないものです。
それは特段よいところがないわけではなくて、居心地の良さからくる慣れなんじゃないかな。と思っています。
南相馬の自然の豊かさ、そこからくる空気のおいしさ。
建設物が低いがために空が広く大きいところ。
親戚だけではなく、近所の人たちとも食べ物だ~なんだ~と物々交換が行われたりして親密になる、だからこそコミュニティーが広くて深いところ。
何かのお皿に、お魚を並べてご近所さんに「少し余ったから~」と渡す。
したらばお皿を返してもらう時には「余りもんだけどさ」って煮物が乗って返ってくるなーんてことはしょっちゅうあります。
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こんなちょっとした要素が居心地の良さを生み出しているのかなあと。
少しかっこつけたこといってしまえば、
南相馬なら、南相馬の中ならどこにでもいつでも帰れる場所があるから、私はこの南相馬に戻ってきたいのです。
あたらしい南相馬
そんな大好きな地元ではありますが、最近は復興事業も落ち着いたように見えて、あたらしい家がえらい多く建ってきました。
正直、気に食わない。
活性化してきていて喜ばしいことなのに、素直に喜べない。
あたらしい住民が増えていくのは楽しいのです。
ただ、昔から見てきた馴染みのあるあの景色が帰省する度変化していくのを知るのはさびしいのです。
自分の知らない顔になっていく南相馬の景色が受け入れられないときがあります。
知らぬ間に南相馬のひとびとのために変化していく南相馬というまち。
しかし少しだけ道を進むと何も変わらない南相馬の田んぼのまちがあります。
何も変わらない南相馬の海も川も山も馬も牛も豚も植物もあります。
福島ロボットテストフィールドをはじめとした、ロボット産業だってある。何だってあるんです。
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南相馬は、大切なものをしっかり残して、活性化を目指しているんです。
そういう背景を考えるとおのずと許せる気持ちになります。
いつもの南相馬
私は父の趣味の影響で、バイクも車も釣りもアウトドアが大好きです。
父が唯一休みの日曜日。
父母とバイクで海に行き、魚を釣る。かにを鷲掴みする。
こんな幸せな休日はありません。
海岸沿いの一直線の道路をバイクで走り抜ける。
しあわせです。
住んでからでも、住む前でも体感してみてください。
ただ歩くだけでも、走っても、自転車こいでも、潮風に当たるのは気持ちいいものです。
今や絶滅危機の駄菓子屋さん。
安いお菓子におもちゃ、10円玉のUFOキャッチャ-
手作りのカルメ焼きにきなこ棒
小さい頃から通いに通って、おじいおばあから認知をもらって、仲良くなっておまけをもらう。
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小さな八百屋さん
絶対にここにしかないおじいおばあ経営のコンビニやスーパー
古い靴屋さんに時計屋さん
何でもかんでもおまけがついてくる
みんながみんな知り合い。
「誰かのために」が成立し合うやさしいまち。
どうしても
東京に私は今一人で住んでいます。
首都高速道路の真横のマンションで、かつマンションの裏側は高層ビル建設に加えて、ビルの解体工事。
毎日毎日何かの雑音と風に運ばれる粉っぽいアレ。
東京の音も空気も体に合わなすぎるのです。
落ち着かないなあと思うといつも思い浮かべるのはどうしても地元、南相馬です。
空気で気分は変わります。
一日の行動も変わります。
どうしてもここにいたい理由があるのです。
帰りたいと思えるまち、帰れる場所があるまち、この南相馬がわたしの誇りです。
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