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若手社会人がマイクロマネジメントについて、考えたい

最近よく考えていることについて、自分なりの、いや、自分にしか当てはまらないかもしれないアウトプットを残していきます。

マイクロマネジメントって何?

きっかけ

最近、会社の同期と、「マイクロマネジメント」に関する悩みを話すことが増えたように感じます。(増える理由となった経緯や社内制度については、諸事情により割愛します)
昼休みに定期開催される「悩み吐き出し大会~マイクロマネジメントについて考える~」には私も積極的に参加しているので、自分自身が今のマネジメント方法を嫌だなと感じている部分は大いにあることは否めないのですが、果たしてマネジメントする上司や同僚が100%悪いのか、と考えるとそうでもないという答えにたどり着くのです。

定義と心情の乖離

そもそも、最近よく耳にする「マイクロマネジメント」って何なのでしょうか。
ネットで調べてみると、上司による部下への過干渉なマネジメント、という定義になっているようです。
ここでの私の心情としては、「あれ、私が受けているマネジメントは過干渉と言えるほどマイクロではないかも」という意外なものです。
また、この定義だとマネジメント”する側”が悪者のように聞こえますが、”される側”の私が100%正しいかと言われるとそうでもない気もしてきます。

では、なぜ私たちが受けているマネジメントを、「マイクロ」と感じるほど、窮屈に思えてしまうのか。
そこに、自分なりの見解を見出していきたいのです。

マイクロマネジメントの原因

ここでは、私がマイクロと捉えてしまうマネジメントを受ける原因について、あくまで若手の視点から書き連ねていきます。この見解に至るまで紆余曲折あったのですが、それも諸事情で割愛です。
結論としては、現代の若手にありがちなこと、が巡り巡ってマイクロマネジメントを引き起こしているのではないか、ということです。

若手にありがちなこと、とは

①頑張っているを見せない、見せたくない
最近の若手は、努力の過程や、悩みもがく姿を見せたくない傾向にあるようです。私もこの傾向にあることは自覚しており、また、上司がそう言っているというのを人づてに聞いたこともあります。でも、正直大きな理由はありません。今まで20年以上生きてきてずっとそうだったので、アピールする理由も術もわからないだけなのです。だから、努力している姿も、今抱えている悩みも見せないし、見せたい、とも思いません。それを急に見せろ、と言われると窮屈を感じざるを得ないのでしょう。

ただ、これは上司や同僚からすると、評価しづらい、とのご意見を頂くことになるのだと思います。例えば、結果が出るまでに長期間要すれば要するほど、長い間何をしているのかわからない状況が続きますし、結果が伴わなければ、努力していたのに結局何もしていないことになってしまいます。
義務教育の段階から、「主体的に取り組む態度」を評価項目の1つとして設置される日本では、なおさら社会人になっても結果だけではない評価点を自ら示す必要があるのかもしれません。
そう考えると、KPI達成のために今日行ったことをexcelに記載して提出しろ、だの、全てのメールは上司をccに入れろ、だのと言われるマネジメントは、私たちを評価しやすくするための1つの方法なのでは、とも感じてきます。

②嫌なことはしない
上司が残っているなら残業は当たり前、会社の飲み会は強制参加、などといった類の話はよく耳にします。でも、現代の若手の多くは、”嫌だから”そのようなことはしないような気がします。「効率的」、「コスパ」、「タイパ」、そして何よりも「プライベート」をこよなく愛する私たちは、仕事が終わったら定時に帰るし、行きたくない飲み会は断るし、仕事よりもプライベートの時間を優先して行動するのです。
だから私たちは、「在宅してもいいけど、出社に比べると成長機会を逃すと思ってほしい」とか「上の人に気に入られるためには飲み会に参加した方がいい」とか、言われることに嫌気がさします。少しでもマネジメントしている立場の人から監視されている可能性を察知したらマイクロマネジメントと感じてしまうのでしょう。

一方で、今まで嫌なことに耐えてきた人々からすると、そのような態度は改めるべきことに映っているかもしれません。まだ若手の私だって、メンターを任された新卒の後輩との外出中に、私だけが重い荷物を持っているのに、「持ちます」って言われなかったときや、帰ってきた後の片づけを手伝ってくれなかったときに、私が新卒のときは当たり前にやっていたのに、とイライラしてしまったんですから。自分は異議を唱える隙もなくやってきた嫌なことを、若者が見事にスルーしていたら面白くないですよね。

意識すべきこと

以上が、現段階で私が考えるマイクロマネジメントをされる、されていると感じる原因なのですが、今後についても少し触れるとするのならば、私の中でマイクロマネジメントをされている、という嫌な認識がこれ以上加速しないように、それによって上司や同僚との溝が深まらないように、まずはコミュニケーションを取ることを意識すべきなんじゃないかなと思います。

私が、マイクロマネジメントに対してイライラを感じるのは、なぜ上司が私たちを監視したがるのか、それが何に繋がっているのか、がわからないまま、全く意義を感じない非効率的な業務が発生するから、なんです。私たちを正しく評価するため、学びに繋げるため、など何かしらの理由がそこに存在するのであれば、上司はそれを発信する、逆に私たちはそれを聞きに行く、ことで納得もできたかもしれない。数分のコミュニケーションをしていれば、私の中の無駄なイライラはなくなってたんだよなって後になって思うことなんです。
ただ、双方うまくそれができなかった。

これ以外にも、私自身、社会人を数年経験しているけど、いまだにコミュニケーションが足りていないことは往々にしてあります。だから、意識すべきこととして難しいけど頑張りたい、のです。

あとは、もう少し長期的な将来を踏まえた話も追記すると、自分の意志も少しずつ出していきたいな、とも思ってます。先にも書いた通り、私は努力は見せたくない派で、嫌なことはしない主義です。だから、「こんな仕事がしたい」、「これが得意!」とか、ましてや「将来こんなキャリアを歩みたいからこんな努力をしてるんだ」とかを社内で発信するのは、率直に言うと意にそぐっていません。でも、ちょっとだけ勇気を出してみた直近の私の経験から、意外にも上司は私の意志を尊重した仕事を任せてくれることがわかりました。
だから、重複となるのですが、難しいけど頑張りたい、という気持ちになっているのです。

最後に

これは、あくまでも私の事例なので、全ての人々に当てはまるわけではありません。2、3しか年齢が違わない社内の先輩方とでもマイクロマネジメントの他、仕事に対する意識や価値観の相違を大いに感じているので、様々な意見があることは重々承知です。
それでも、ここから何十年と働く予定の私は、若手の今、自分自身が感じている気持ちを大事にしたいと強く思います。偉そうに色々書きながら、今この瞬間からコミュニケーションを取ることを意識して仕事に取り組めるか、と問われると自信はないのですが、いつかこの気持ちが仕事に活きてくる気がするのです。

そして、飛躍しすぎているのですが、認識や価値観、意見の差異を分析する心理学って面白いなあなんていう楽観的な気持ちに落ち着くのです。



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