変化する普遍的
普遍的とはすべてのことに共通していること、または広く行きわたることであるが、様々な状況が日々変わりゆくこの世界で、普遍的と思われていることが変化していくことは少なくない。
この本では、エッセイ形式でありながら、日々様々な課題にぶち当たっていく親子が等身大のありのままにつづられている。作品の舞台であるイギリスのまだら地域に住むに主人公は日本人の保育士の母とイギリス人のトラック運転手の父を持つ。元底辺保育園、カトリックの小学校とぬくぬくと育ってきた。しかし中学校になってから地元の元底辺中学校に通い始めた。中学校には人種も様々、貧富の差も様々な個性的な友人ができた。人種差別的発言をするクラスメートとどう向き合うか、どうやったら貧しい家に住む友人に傷つけずに修繕した制服を渡せるか、中国人の生徒会長、双極性障害を持つお隣さんとの関わり、移民への地域の偏見の目、ホームレスの方とのかかわり、政治について自分がどう思うか、性教育など日本にいる中学生が真正面に向き合うことが少ないであろう課題に対して、真正面からぶつかっていく。
日本で生活をする中でどれだけの人がこれらの問題にぶつかるのだろう。向き合うのだろう。少なくとも私は今までなかった。
当たり前に学校に行けて、大学に行って、就職して、きっと結婚して、出産して、育児をしていくだろうという簡単にできる未来予想通りのレールに乗っている私にとって、様々なことにぶつかって、そのたびに迷って、考えて、葛藤した人の方がきっと何倍も強いと思うし、何倍も人間らしくて、社会経験豊富だと思う。金銭的余裕はある意味考えなくても生活できてしまうからこそ、考えを貧相にする。
でも私はそうはなりたくない。ぬくぬくと大学生までやってきたからこそ、できた経験を生かして、考えていくこともできるのではないだろうか。だからたくさん考えよう。まずは社会に目を向けて、身の回りから。