受け身なセッションと自立していくセッションの違い
アドバイザーとは自立した関係であることが前提である。
なんとかしてもらう場としての認識では
成長したとしても、己の本望から遠ざかる。
わたしが何かを成し遂げているとか
わたしのnoteが人気だとかそんな測り方ではない。そんなものは経過の一つとして過ぎ去ったものだ。
日頃
自分らしく生きて自分の道を歩んでいるかという人としての成長点で書いてみる。
自立していくと自分が整うと、トラブル続きから脱却できる。
無意識下で変化が起きているので初めのうちは「うまくいったぞ」「あれ?できた」とあっさり結果が出てくることに拍子抜けをする。
出来の悪い自分のレッテルが貼られているので手応えや達成感より
「なぜだ?」「なんだこれ」
と不出来な部分の立ち位置から結果を見渡している。
その位置の修正、確認のため
セッションを受けて自分の立ち位置を確認する。
これが、スーパーバイザーとのセッションだ。
アドバイスをもらうのではなく、自分で気づいていくことをしていく。その間は調整を受けているので、自分ことを出して観ていきやすい。
世の中にはさまざまなアドバイザーがいるけれど、相手の人ありきになりかけているのであれば、要注意。
自立していくことが目的なのに、その集団の一味みたいになってしまってるのであれば、おかしい。自分らしさが集団によって溜まってしまう。
知識や講座等単発屋の迷子も講師の謳い文句にふられている状態。
自分で決められないことに気がついていない。
「それを買ったら…」
「その人から受けたら…」
「それを所持していたら…」
私が救われる、復活する、回復する
という流れは断ち切りたい。
欲しくなったり、なんとかして欲しい気持ちでしんどくなったら
「受けて楽にさせて欲しい」と他力になっているなぁ、と呟く。それで解決する問題でもないこともよくわかってきているから、間違った選択や買い物をしなくなる。
自分の状態を変えてもらう、してもらうなんて
舵切りを任せてしまった状態でセッションを終えることになる。これはセッション受ける側の状態が「してもらう」が整わずに終わりそうな案件。バイザーがの指導や思考がより依存を招く。
だからこそ、そのバイザーもスーパーバイザーが必要なのである。
自分と他人との境を知り
自分で失敗も成功も解決もしていくことが
自分らしくやってみる!
そんな状態だと感じる。
自立して自分らしく生きるということをしていきたいものである。
ささ、休憩しましょ☕️
読んでくださってありがとうね。
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