楽したいし愛されたいからマジメをやめたい
去年は年末に近づくにつれて、noteどころか日記も書かなくなったし、書けなくなった
いや、書く気力がなくなっていったと言う方が正しい気がする
書かなければいけない修論、就活の面接、色々入れてしまった予定たち
冬は鬱っぽくなりやすい傾向があるとわかっていたのに、スケジューリングが甘すぎて気力・体力共に尽きていた気がする
挙句の果てに、年末は修論の草稿を出し終えた途端、微熱と息苦しさで年始までベッドとお友達になってしまった
「どうしてこうなるのか?」
「どうしたらもう少し楽に過ごせるのか?」
さすがに25年生きてきたら、「もう少しどうにかならんか?」と思う
ただでさえ生きづらいのだから、生きづら要因を足したくない
もう頑張りたくない、「頑張ります」と言いたくない
で、諸悪の根源を考えると「マジメ」に辿り着いた
前にも、マジメをやめたいと思って、三島由紀夫の『不道徳教育講座』という本に手を出してみた記憶がある(内容についての記憶はないけど)
その時は、知人に「マジメを辞めたいとか言ってる時点でマジメ」と言われ、テンションが爆下がりして「マジメをやめるのをやめよう」となった
(何がしたかったんだろう…)
今回はというと、やはりマジメをやめるための具体的な方法は知らないし、知ったとしてもできるかはわからない
もはや、日本人に生まれてしまった限り、めちゃくちゃ難しい問題なのかもしれない
とか思っていたのだが、修論サボって(あくまで体調不良と通院だけど)図書館と本屋に行くと、『無理しない生き方』という本に出会い、これならできそうと思えたことがある
淡々とこなすことで、色々考えたりしてたまってゆくであろう脳疲労は軽減できるんじゃないかと思う
「いいものを作りたい」「この部分はこういう内容にしたい」
そうやって、プロジェクトや制作物への想いが募るほど、身体に力が入って、少しでもできないと自分を責めたりしてしまう気がする
実際、卒論を書いた時には、使えそうな文献を片っ端から列挙し、添削やコメントに従って消すという作業の繰り返しだけしていて、「いい文章を書きたい」なんてことは考えなかった
あと、シンプルに朝は「身体が勝手に大学に行く」という状態だった
その時も、「書けるだろうか」「書きたいくない」なんてことは考えていなかった
あと、変にかしこまってもいなかったと思う
「食い意地が張っている」自分を隠さず、食欲全開で研究室のお菓子をボリボリ食っていたし、容赦なく教授の居室ドアをガンガンノックしていた
そして、そんな一見アホな私でも受け入れてくれていた
ひろゆきの言う「マジメは好かれるが愛されない」ってこういうことだったのかもしれない
対して今は…
キレイなストーリーを書かねば
言葉遣いちゃんとせねば
あわよくば学会誌に投稿(せねば?)
割と力が入っているし、「完璧にしなアカン」と気持ちだけが先走っている
そのくせ、以前よりできることは増えていないし、むしろできてない気がする
他研の同期とはそれなりに話せるけど、研究室の同期とは距離感がビミョーでディスコミュニケーション
マジメにやる意味がない
それなら、マジメなんてやめちまえ
書ければなんでもいい(それなりには書くだろうけどさ)、居やすくするために研究室の同期と教授にへこへこする筋合いはない
やりたいように書く
納得いかない所は60点で抑える
メールとかも最低限の礼節しか示さないし、気にかけない
マジメでいることで、無駄なエネルギーや時間を使うなら、それは浪費でしかないし、命の無駄だと思う
今年こそは、マジメをやめて、働かないでたらふく食いたい
目標とか、夢とか、「あなたならできるよ」なんて言葉さえ、くそくらえだ