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品格 カーネーション再放送を見て
カーネーションを見て
今回の朝ドラは離脱しましたが、BSでやっている再放送のカーネーションは見ています。以前は見ていなかったので初めて視聴。
今日は、洋裁を教えて欲しい糸子が根岸先生に初めてレッスンを受ける様子が描かれていました。
縫うより前にまず糸子に洋服を着せる先生、タイツを履いて靴で街を歩きます
オドオドと歩き方もままならずについていく糸子に先生は洋服をきた時の立ち居振る舞いを教えます。
品格が消えて行く時代に
最近 品格があるという場面になかなか巡り合わなくなりました。バブル絶頂期はブランド品全盛期で、ブランドとは製品も販売も品格がありました。
でもそれは、今の時代にどう伝わるものなのでしょう。
マナーは習えば出来ることかもしれませんが、たとえマナーを心得たとしても、品格にはつながらない。
まして高価なものを買い与え、食べさせることだけで身につくのではないのです。
一見堅苦しく思えることですが、高級品という手をかけて作られたものには、それ相応の礼儀のスキルをもって迎えられる人であれと言う形の表れ。
かつて私の母の家も祖父が新橋に自社をかまえていた昭和の時代。銀座の三越に買い物に行ったり、食事に行く時にはきちんとした
「よそ行き」
の服装があり、それを着てお出かけをしていました。
その普段とは違う特別な場所へ赴くときに、相応の装いをして、それに見合った立ち居振る舞いをすることがマナーの基本で、社会から品格が失われていることは単なる「金持ち」ではなく、しかるべきものの扱いを教えられ、その価値を理解する教養を育てられた「品格ある人」だったと思うのです
品格は不平等ではない
ところが最近、この物事に敬意を持つ心が失われているように思います。なぜならば、ちまたはものにあふれ高級のようなものが簡単に手に入るようになったから
高級品はそれ相応の階級者だけに許されるものなんて「差別」じゃないのか?
誰だってお金があれば手に入れられるものでしょう?
と言って、お金さえあれば身につけられ食べられるようになりました。「手が届く」という夢を叶えたことは、手が届かないものの価値を下げることになってしまいました。
最近安い服を選ぶときにも「高見え」という言葉があって、お金をかけずに
高く見えることが良いような表現だけれど、安いなら安くてもきちんとしていればいいし、むしろ、その「高いものを身につけている」ように見せたいTPOを意識しているのかも疑問です。
品格が教えられた時代
糸子に先生は、洋服を着た人に必要な品格を教えます。
本当にいい洋服は着る人に品格と誇りを与えてくれる
人は品格と誇りを持てて初めて希望も持てるようになる
いい?あなたが志している仕事には、そんな大事な役割があるのよ
着物から洋服へ時代が移っていった頃。
西洋文化への憧れ、ミシンへの憧れ、憧れに手を伸ばすにはそれに備わる品格も身につける。そんな意識がまた戻ってきてもいいような気がします