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加藤のファミリーヒストリー

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私の祖父の人生を辿りながら記した明治、大正、昭和、平成、令和とつながる家族の記録です。
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2024年8月の記事一覧

加藤のファミリーヒストリー16 町田の夏休み

加藤のファミリーヒストリー16 町田の夏休み

私が町田へ引っ越したことで、従兄弟の真史とは同級生になり、毎日お互いの家を行ったり来たりしながらよく遊んでいました。そして夏休みになると土浦から登美子一家が訪れ、尚文、登美子、君枝の家族は子供達の年齢が近いこともあって町田に集合しました。

まだ自然あふれる野原ばかりの小さな地域だったので、近所の人も一緒に近くの広場で父の指導によるフォークダンス会もありました。
教師だった父は本番前に庭でステップ

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加藤のファミリーヒストリー15 ピンクの家

加藤のファミリーヒストリー15 ピンクの家

私は生まれた時は千葉県船橋市にある高根公団という団地に住んでいました。
高度成長期、公団住宅は憧れの住まい。母から抽選に当たって嬉しかった話をよく聞きました。そこから、幼稚園に上がる前、祖母の弟の転勤に伴い、留守になる家に住んで欲しいと松戸市の常盤平の一軒家に引っ越します。そして小学校1年になった時、その祖父の弟がまた松戸に戻ってくることになります。
行くあてのない父と母は登美子に相談して町田の尚

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加藤のファミリーヒストリー14 孫たちの作品集

加藤のファミリーヒストリー14 孫たちの作品集

加藤の兄弟新聞には、清の孫たちもたくさんの詩や作文を載せています。
当時、私はなかなか書くことに目覚めておらず、自分の小学校の頃の作文などかなりひどいもんで、不採用だったようですが、従姉妹たちはそれぞれ本当にのびのびとした感性で言葉を紡いでいたこと。
ここにいくつかご紹介します。

ちょっと一言 有紀6歳(登美子の次女)

「ママ ママは気をつけてちょうだい。
マキちゃんのパパのこと、時々アニキ 

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加藤のファミリーヒストリー13 兄弟新聞発行

加藤のファミリーヒストリー13 兄弟新聞発行

昭和43年7月15日 登美子が加藤の兄弟新聞を発行します。
なぜ、このような新聞を作ることになったのか?その経緯は知りませんが、それぞれの家での出来事を報告するシステム。今では家族でFacebookをしている人もいるかもしれませんが、家庭用プリンターさえない時代にガリ版でこんなことを考える家族がいたのでしょうか?
今回写真集を作るにあたり、登美子はしまってあったこの新聞を探し出して私に送ってくれま

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加藤のファミリーヒストリー12 幼き頃の幸せとは

加藤のファミリーヒストリー12 幼き頃の幸せとは

加藤の兄弟はそれぞれの家庭を持っても仲が良く、特に私と登美子の土浦の従姉妹とはたびたび旅行へ行ったり、お互いの家を行き来していました。
私は父が癌を患い長く療養していたし、一人っ子だったので、従姉妹たちとの交流は姉妹の疑似体験のような楽しさがありました。

特に登美子の長女と次女は年齢も近く二人が私の家で夏休みを過ごすこともありましたが、さあ、ジュースを飲もうとなれば母がコップに注ぐジュースの分量

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加藤のファミリーヒストリー11 詩人シェリーのアラスターから命名す

加藤のファミリーヒストリー11 詩人シェリーのアラスターから命名す

時代の流れの中で奮闘していた叔父尚武は、結婚前、私を含む姉の子供達が母の実家に遊びに行くと、かっこいいお兄さんとして遊んでくれました。
暗い部屋で怖い話をしたり、顔を動かさないで耳だけ動かしたり。私にとっては優しくて面白い叔父でした。
その尚武も1965年西川京子と結婚します。
私が人生で初めて出席した結婚式。目の前には自分の顔より大きいオムライスが出てきたことを覚えています。

尚武のところにも

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加藤のファミリーヒストリー10 安保闘争と家宅捜索

加藤のファミリーヒストリー10 安保闘争と家宅捜索

60年安保闘争
安保闘争(あんぽとうそう)は、1959年(昭和34年)から1960年(昭和35年)、1970年(昭和45年)の2度にわたり日本で行われた日米新安全保障条約(安保改定)締結に反対する国会議員、労働者や学生、市民及び批准そのものに反対する左翼や新左翼の運動家が参加した反政府、反米運動とそれに伴う大規模デモ運動である。
Wikipediaより

加藤家の次男尚武は、東大生として1960年

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加藤のファミリーヒストリー9 孫の誕生に贈ったものは

加藤のファミリーヒストリー9 孫の誕生に贈ったものは

尚文、登美子、君枝のところに次々と子供が生まれます

尚文
長女真紀誕生1957年6月14日 長男真史誕生1961年9月16日

登美子
長女陽子誕生1959年2月27日 次女有紀誕生1962年6月22日 
三女元子誕生1966年5月21日

君枝
長女(私)誕生1961年10月1日

清もみつも孫の誕生をどんなに喜んでくれていたことか
ここに登美子の長女陽子に送ったメッセージがあります

二十年

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加藤のファミリーヒストリー8

加藤のファミリーヒストリー8

登美子が父清の知り合いからの紹介で結婚したのに対し、君枝は音楽の教師として勤務していた小松川第1中学校の同僚だった藤井襄治との結婚を自分で決めてしまいました。そのことについて清はショックだったのか、思い悩んで登美子に手紙を送っています。

この手紙を読むと話題が飛んでしまって意味がわからないところも、、父親として悩んでいた心がわかります。

奥井登美子様

早速の君枝の結婚相手に対する貴見を読みま

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加藤のファミリーヒストリー7

加藤のファミリーヒストリー7

当時新聞を4紙とっていた加藤家では、食事の時間に子供達はその日の新聞について語るルールがありました。妻みつも新聞を読むことが日課だし、好きだったようで、忙しい時は「まだ新聞も読んでないのに、、」とぼやくときも新聞基準でした。そうやって加藤家は読むこと、考えること、自分の意見を持つことを自然に育まれていたようです。

福沢諭吉先生の影響を強く受けている清は娘たちにも自立できる資格を取るよう教育します

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