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「老いと創造」

「老いと創造」(横尾忠則 講談社現代新書)

グラフィックデザイナーから画家に転向した著者による、人生相談の本。いろいろな相談に対する回答が、とにかく突き抜けているというか、浮世離れした回答なのだ。でも、ここまで突き抜けていると、逆に面白く感じてくる。専門的な教育を受けていないのにグラフィックデザイナーになったとか(138ページ)、ダメもとでダリに会いに行ったら会えたとか(114ページ)、YMOの4人目のメンバーとしてデビューする寸前だったとか(117ページ)、何だかすごい話があちこちにさらりと書いてあって驚かされる。

 ここまで来ると、日記が生活の一部になります。僕なんか日記を面白くするために、わざとどこかに行って、その経験をエッセイのように書くこともあります。記録のためではなく、日記を面白くするために、日記のために生きてみようとなると、もう日記と人生が一体化して、他のことより、日記をつけること自体が嬉しく、愉しくなってきます。(24ページ)

 だけど、考え方を変えれば、この身体的ハンディにより思ったような絵が描けない代わりに、逆に思いもしない絵が描けるという特典もあります。だから、ハンディこそ僕の自然体と考えるようにしました。(26ページ)

 ですが、僕のなかに一つ夢があります。それは人間が死んだあと往くという死後の世界に、自分の理想とする家を建てるというものです。(40ページ)

 僕は、膨大な数の作品を残しています。まず、これらの作品の行方を決める必要があります。このことは、僕に限らず、多くの画家にとって頭の痛い問題です。遺族は、僕の死後十カ月以内にすべての作品をなんとかして処理する必要があります。地元の美術館に作品を寄贈するといっても、どこの美術館も収蔵庫がいっぱいという理由で、なかなかもらってくれないというのが現状です。
 自分の作品でありながら、その作品は課税の対象になります。作品の価値が高ければ、それだけ税金も高くなります。かつて、日本画家の奥村土牛さんの死後、ご遺族は作品をたくさん焼却しました。でないと、その作品一点一点に税金がかかります。奥村さんの場合は、作品の値段があまりにも高い。値段に見合う税金がかかると、ご遺族はとてもじゃないが払えない。だから焼却して、無いことにするしかなかったのです。(43-44ページ)

 僕の仕事のことでいえば、若い頃は仮想ライバルがいることで努力し、成長するようがんばってきましたが、こうした欲望や執着に振り回されることが歳を取ると共になくなってきました。よく老人は好奇心を持つべきだという人がいますが、好奇心も欲望です。僕は老齢になるにしたがって、好奇心が徐々になくなってきました。好奇心がない、好奇心を失っていく自分に目覚めるといえばいいのか。(47ページ)

 去年から今年にかけて、友人知人が四十~五十人亡くなりました。自分だって、今日明日にでも、彼らと同じところへ行くかもしれません。心の整理などはありません。時間が解決してくれるものでもありません。
 しかし、もうすでに僕も、向こうにいる彼らの仲間の一人かもしれません。最近は、こちらの世界とあちらの世界の区別さえつきません。無向もこちらも地続きです。ですから、僕は半ば死者の目で、この生者のいる現世を眺めています。(62ページ)

 僕はいちいち他人のことを考えて絵を描いていません。共感する人がいれば、それはそれでいいくらいに思っています。他人があなたの意見に共感しなくても、それは他人の問題であって、あなたの問題ではありません。あなたはあなたを生きるべきで、あなたが他人を生きる必要はありません。(84ページ)

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