受理された原稿、それから過去を回想

シレっと出した原稿と画像2枚が、編集部へそのまま送られるという連絡がきた。あんまりスムーズなので、「こんなに長くてよかったの?」と思ってしまう。

ファースト・アルバムをリリースしてから5年ぶり、他のアーティストたちとのオムニバス・アルバムに新曲書き下ろし、といったところか。

以前私が書いた論文に対して「ブログみたい」と言われたことがある。今回もそんな感じかもしれない。だが、もう、研究者からの評価は考えなくなったので、同じ事を言われても別になんとも思わない。

とはいえ、この長さ、ゲラが来たら、削りたくなりそうな予感もしなくはない。

論文集には2回参加したことがあるが、いずれも、入念な打ち合わせや原稿の読み合わせを何度も行ったものだ。今回は、自分しか見えない。元締めの先生以外は、結局誰が書くのかわからない。私の論文がどこに配置されるのかもわからない。

それと、この出版社・・・博論を刊行しないかと打診を受けたものの、既に別の出版社と話を進めていた後の話だったので、お断りしたところだ。それでも熱心に「今後とも」とメールをいただいたまま、当時はあれこれ気持ちにも余裕がなく、お返事を出さぬままそれっきりだった。ご縁がないのかあるのか・・・。

ここから、さらなる回想。

そもそも、この出版社に私を紹介してくださった先生が、博論の主査ではなく副査の一人だった人で、どうやっても私は馴染めなかった先生なのだが、結果的に、同じ分野ではかなり親身だったという・・・ややこしい。

博士論文の公開審査では、主査(=指導教授Aとしよう)と副査2名で構成され、主査と博論を出した本人がディフェンス、副査がオフェンスという役回り。普通は。

ところが、私の場合は主査であるAが私の論文を全くといってよいほど理解していなくて、主査が途中から完全にオフェンスに。それを、副査が2人でなんとかなだめて、「いや本当に言いたいことはこうなんじゃないか」などとあの手この手で引き出そうとしてくださった。その副査のうちの一人が、今度の出版社に私を紹介してくださったという方で、もう一人が、私の研究を全て知っている分野違いの先生。

なお、審査会の後の打ち上げで、私がAにぶち切れて飲み代も払わずに店から退場。その後何年か経って、もうふた波乱あった話はまあ胸にしまっておこ・・おくのをやめよう(笑)。ある事件が起きましてね(一言で言うと、私はAに、私の動画と考えを、Aの最終講義で盗まれた)。

その後だったか、私のAへの「餞の原稿」が、Aの逆鱗に触れましてね。(ヒント:私が業績一覧に一切出していない、Aを激怒させた原稿が、某大学リポジトリにある。後輩に頼まれて書いた。A以外はまったくもって「どこに怒りの要素が?」という反応だった。私は、Aが最も痛がるところに向かって、最も辛辣にやり込めてしまったのだと思う。私はゆるぎない力を持つ人に斬りかかるの大好きなもので。「太田上田」の「社長が激怒してパソコンをまっぷたつに」事件(↓参考資料参照)のきっかけも、多分そんな感じだったのだろうと推測)。

↑多分、タイトルが、「最も言われたくない本当のこと」だったのだと思う。そしてそれを、この私に言われたので切れてしまったのだな。私は力を持っている人を斬るのが趣味なので、サーセンw

参考資料


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