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全く理解できない気持ちと存在しない答え『月』

◾️今日の映画『月』(2023)
元有名作家の堂島洋子は、障がい者施設で働き始め、夫と慎ましく暮らしている。同僚の作家志望の陽子や絵の好きな青年さとくん、生年月日が自分と同じの入所者きーちゃんに出会う。そんな中、きーちゃんに親身に寄り添う洋子は、ある時職員による暴力を知る。

わたしは事件について調べることが好きだ。それは地下鉄サリン事件から始まっているのだけれど、きっかけは単純で、ニュースを見ていて「え?ちょっと全然わからない」と子どもながらに思ったからだった。それまで起きた事件は「へえ、大変だね」と言っていただけだったのにも関わらず、あの時、新興宗教の信者たちに「全く理解できない。どういうこと?」と思った経験は、言葉にすると「衝撃」というのかもしれない。

どういうことなんだろう、なんでなんだろう、から始まって色々調べてみると知らないことを知って面白いと思ったし、だけれども理解はどうしてもできないのだった。例えばオウム真理教のことなどは今でもたまに調べたりするけれど、今も理解できない。わたしは他人に執着がないし、世界を変えようとも思っていないのだから当たり前だけれども。

この映画は相模原の障害者施設で起きた殺人事件をもとに作られていて、わたしはその事件についても当時すごく調べていたし、その上で理解できることとできないことがはっきりしていたことを思い出す。「喋れない人は意思疎通ができないから人ではない。人には危害を加えない」と映画の中でも言うのだけれど、犬が大好きで一緒に育ったわたしには、喋れなくても、ひとりで何もできなくても、大切にしたいと思うひとはいると思うし、「国のためにやるんだ」という救世主感はわたしが人生をかけて理解できないことのひとつで、どう解釈しても「いや、頼んでねーから」である。

その一方で理解したことは「では一生寝たきりで幸せなのか」という問題である。わたしが長年祖母の闘病を看病していたときに、祖母は手術を望まなかったし、わたしが高度医療の病院を勧めても近場の愛着がある小さな病院を選び、10年以上にわたり救急車で運ばれたり、ゲートボールに復帰したり、緊急入院したり、旅行に行ったり、を繰り返してこれといった延命治療をせず、人生を終えた。わたしとしてはできることをしてほしいという思いもあったけれど、自分の人生は自分で決めたい気持ちはよくわかったし、両親とともに可能な限り祖母が幸せでいられるように支えたことを少しも後悔していない。最後の最後に「しんどい」と言ったときにもう充分がんばったのだし、楽になってもいいんだよと心の底から思ったけれど、葬儀で周りがドン引きするぐらい泣きじゃくったわたしは、この気持ちがよくわからなかったのだった。

そのことを思い出したとき、障害者自身が自分の人生を決められなかったとしたら、どうしたら良いのだろうと思った。きっと家族にも気を遣うだろうし、本当の心は本人しかわからないわけで、正確もない。果たして安楽死について議論することが答えになるのだろうかというとそれもズレている気がする。ただ明らかなのは何の合意もなく他人が他人の命を奪うのは間違っているということだけだ。

彼という存在を社会のせいにするのは短絡的すぎるし、介護施設や精神科病院、療養病院での虐待などは社会の問題も絡んでいるのだろう。わたしは社会のためになることをしようとは思わないけれど、もし身近なひとが病にかかったとしたらそのひとの幸せのためにできる限り支えられるように常に準備をしていたいと思う。わたしもまた当人になったとき、祖母のように自分の幸せを追求して生き抜きたい。そのために働いているのだ。

U-NEXTで鑑賞

◾️今日の日記

空港にもラーメン屋が連なる

博多に行ったのですが、仕事で手一杯でとりあえずとんこつラーメンだけ食べて帰りました。

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