見出し画像

他人のわたしたちが無力すぎることを知る絶望『ミッシング』

◾️今日の映画『ミッシング』
沙織里の娘・美羽が突然いなくなった。懸命な捜索も虚しく3カ月が過ぎ、沙織里は世間の関心が薄れていくことに焦りを感じていた。夫の豊とは事件に対する温度差からケンカが絶えず、唯一取材を続けてくれる地元テレビ局の記者・砂田を頼る日々。そんな中、沙織里が娘の失踪時にアイドルのライブに行っていたことが知られ、ネット上で育児放棄だと誹謗中傷の標的になってしまう。世間の好奇の目にさらされ続けたことで沙織里の言動は次第に過剰になり、いつしかメディアが求める“悲劇の母”を演じるように。一方、砂田は視聴率獲得を狙う局上層部の意向により、沙織里や彼女の弟・圭吾に対する世間の関心を煽るような取材を命じられてしまう。

わたしは一人暮らしが好きだ。好きだ、というと少し語弊があるかもしれない。一人暮らししかできない。同棲やルームシェアなどを試してみたこともあるわけだけれど、どれもうまくいかなくて、そのときに感じた誰かと同じ空間にいることの苦痛さはどうやら尋常ではないらしく、友人たちは「ひとりの時間がほしい、のレベルをはるかに超えている」と言う。

そうは言ってもかつては実家で家族と過ごしていたわけだから、母親に「いつからひとり好きなんだろうか」と聞いてみたところ、「4歳のころに突然ひとりで寝たいとわたしを追い出してからずっとひとりが好きだったよ」と言われて、筋金入りのひとり好きなのだと知り、無理してひとと暮らさなくてもいいやと思ったのだった。だから子どものことを思う母親の気持ちは少しもわからないし、たぶん想像もできていない。

それでも石原さとみの演じる母親を見ているだけでつらくて、しかもそのつらさを夫や弟に振りまいて、救いが何もないことに絶望してしまった。情報が多すぎて、わたしたちはすぐにニュースを忘れてしまうし、ネットはフェイクが溢れていて、そんな中で当事者たちがどれだけ孤立してしまうのか。他人のわたしたちにできることは何もない。本当にひとつもない。わたしはそう思ってしまった。

昔、学生のころにニュースを見ていて「子どものためにそこまでやるかね」とつぶやいたとき、母が「わたしはやると思う」と真顔で言って、マジかよと思ったことを思い出した。母はすごい。きっと同じニュースを、映画を、まったく違う気持ちで見るのだろうなあ。

Netflixで鑑賞

◾️今日の日記

ミートソースセット

コメダが好きです。食べるものも美味しいからランチでも結構お世話になってます。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集