それが近江屋洋菓子店
気になっていた店に、ようやく足を運ぶことができた。
情報誌のスイーツ特集に、たびたび名を連ねる有名洋菓子店。まもなく創業140年を迎える、老舗中の老舗だ。
ショートケーキといえば、大多数のひとが三角形を思い浮かべると思う。
一方、近江屋洋菓子店のショートケーキは、ホールケーキをそのまま小さくしたような円形。
雑誌でその愛らしい姿を目にしてから、いつかこのショートケーキを買いに行こう、と記憶の片隅にとどめ続けていた。
とはいえ自宅からは少々距離があり、会社帰りには間に合わない営業時間。
長らく二の足を踏んでいたが、先日とあるテレビ番組をみて「これは運命!行かねば!」と、思い立った。
《人生最高レストラン》は、「食」の話題からゲストの「人生」を深堀りする土曜深夜のトーク番組。
この日は、惹かれてやまぬ江口のりこさんがゲストだった。
MCの方と同じく、江口さんは甘いもの苦手そう、と勝手に思ってしまっていた。
甘いものを好まなさそうな方が「甘いもの好き」と知ると、仕事柄なのかギャップ萌えなのか、跳ねるようにうれしい。
その江口さんが「めちゃめちゃ」甘いもの好きとか笑顔で言っているし、近江屋洋菓子店の名を挙げている。
推しが推しを推していて、推しと推しが合致して、背中を押されないわけがない。
母の誕生日ケーキもかねて、平日の午後に神田まで足を運んだ。
東京メトロ丸の内線、淡路町駅から徒歩3分。
ビルの1階にある店内は天井が高く、広々として明るい。
だが、一歩足を踏み入れると、むかしなつかしい感覚に包まれる。
ガラス扉にかかれた、店舗名の縦長フォント。
銀色の金属フレームがやたらと主張する、うす暗い長尺ショーケース。
いろいろな書体がおどる手書きのプライスカード、ケースのすみに置かれた造花。
白いシャツに青いワンピース、白いエプロンというクラシカルな制服。バーコードおろかカードも不可、現金のみの決済方法。
こぎれいながらも年季の入ったしつらえに、明治時代から続く歴史をそこかしこから感じた。
ケーキやプリンも、はやりの凝った造形とは程遠く、本当に必要なものだけを残したシンプルなフォルム。
それでも、ふんだんにあしらわれた旬の果物が、照度低めのケースを華やかに大胆に彩る。種類も豊富だ。
江口さんがおすすめしていた珈琲ゼリーは、残念ながら完売していた。
一方、看板商品の丸いショートケーキはたくさん並んでおり一安心。
母の誕生日ケーキに、とねらいを定めていた洋梨のタルトも、ツヤツヤと輝きながら並んでいた。
時を止めたような店構えとは対照的に、販売員さんはとても忙しそうだった。接客に商品補充、宅配便集荷対応、電話対応、とせわしなく動き回っている。
入店時すでに数人が並んでいたが、会計を終えて振り返ったら、老若男女がさらに10人くらい列をなしていた。
お取り置きと思しき、タグのついた紙袋も棚にところせましと置いてある。
ここは本当に長年愛され続けている店なのだ、とケーキを頂く前から確信した。
満足のいくいちごが仕入れられないとのことで、現在サンドされているのはいちごではなく黄桃。
これはこれで期間限定のおたのしみだし、そのこだわりぶりは信頼の証。
はみ出す橙黄色のまぶしさよ。
しっかり甘みを感じながらも軽い口当たりのたっぷり生クリーム、香ばしさの残るきめ細やかなスポンジ。
あと、食べても食べても出てくる黄桃。フォークを刺すと増える仕組みなのかと思うくらい、終わらない甘い黄桃。
なにより、まんまるゆえにホールケーキをまるごとひとりで食べているような贅沢感がある。
三角形のショートケーキも魅惑的だが、まるいショートケーキはどこから攻めてもいいし、なにより途中でバランスを崩して倒れない。大満足。
タルト生地には厳しい母も、洋梨のタルトを食べて「このパイ生地がおいしい!またよろしく」と言っていた。
パイに近いサクサク食感タルト、これもまた気になる。
味や店の雰囲気は伝統を守りつつも、YouTubeやTwitterなど、情報発信は時代を柔軟に取り入れているようだ。
このカットムービーなんて、見事で何回も見てしまう。
こういう「守るところは守り、攻めるところは攻める店」は、明治・大正・昭和・平成・令和、その後も脈々と愛され続けていくのだろうな、と感じた。
次は、江口さんの好物の珈琲ゼリーと、大容量フルーツポンチを赤子のように抱えて帰りたい。
あと、この店の近くには整体や整骨院が何軒もあった。
いつどこから江口さんが出てくるか分からない。