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天空の贈り物展をみた

「今日は17時半頃に国際宇宙ステーションが見えるから、興味あればご一緒に」

と職場で声をかけられたのは、ちょっと外へ出るにもダウンコートが必要な季節だった。

無機質な数字が並ぶExcelを放置して、寒空の下へ出る。

日が沈んだばかりの空は、群青色に晴れわたっているが、星は見えない。
ややぽっちゃりした三日月だけが、ひときわ明るく輝いている。

ほどなくして、高いビルの影から小さな光の点がスーッと出てきて、月の下を通過した。

あれが国際宇宙ステーション「きぼう」か。

流れ星よりゆっくりで、飛行機よりなめらかで、点滅もしない。
一直線にどこかを目指す、意志が強いホタルのような光。

きぼう自体は光を放っておらず、宇宙が昼、地球が夜の時に、太陽光を反射して輝いて見えるのだという。

宇宙飛行士のみなさんも仕事中か…と感慨にふけっているうちに、2~3分ほどでビルの影に隠れ、見えなくなった。

歩道の端で震えながら空を見上げるわれわれを、通行人やお散歩コーギーが不思議そうに見つめていた。

空を見上げてみてください!あれ、宇宙を飛んでるんですよ!と心の中で叫んだ。

見事な手ぶれ

きぼう自体は同じ軌道を回っているが、地球が自転しているため、毎日見えるわけではない。

それ以来、きぼうが見えそうな日は空を見上げている。

先日は、自宅からきぼうが見えた。高台なので、さえぎるものもない。
空の彼方へ吸い込まれるように消えるところまで、しっかりお見送り。

北の空へ飛んでいくきぼうの軌道上には、北斗七星がよく見えた。

本当にひしゃくの形をしていて、いまさらながらちょっと感動する。

これとカシオペア座を組み合わせると、北極星が見つかるんだっけ、テストによく出たな、と懐かしい記憶もよみがえった。

夜空では日々すてきな奇跡が起きているようなので、こちらの展覧会に足を運んだ。

星空写真家、プラネタリウム映像クリエイターとして活動されているKAGAYAさんの写真展《天空の贈り物》

日本だけでなく、アイスランドやハワイ、ボリビアなど、世界各地で撮影された美しい写真が約100点並ぶ。

南十字星やオーロラなど、日本では南端や北端でないと観測できない星々や天体ショーに、思いを馳せる。

都会の空では、街中の明かりにさえぎられて天の川も見えない。

一度でいいから、この目で見てみたい。

《月光浴びるハルニレの木》北海道

館内は、一部をのぞいて写真撮影が可能だ。

写真を写真に撮る、というのが何だか不思議な感じだったが、撮影するひとのために、ひとつひとつライティングの調整がされているとのこと。

《宇宙を写す鏡》北海道

水面に映る満天の星空や、長岡の花火。

《満月彩花》新潟県

ほかにも、季節はずれの雪と桜、針葉樹のてっぺんに輝くシリウス、隅田川の花火大会と満月、グリーンフラッシュ、月夜のキラウエア火山、三日月を眺めているかのような雪原のキツネ。

どれも、絵画の構図のような一瞬の奇跡。

《天空への招待》北海道

写真を撮ることは多々あれど、目に映る景色と、写真におさまった景色が、画角は同じなのになにかが違い、ムムムと思うことの方が多い(技術力の問題もある)。

KAGAYAさんの作品は、カメラのレンズというよりも、網膜を通して観ているような気持ちになった。

没入感と、臨場感がすごい。
とくに、映像作品はそれを体感できる。

作品リストには、撮影地だけでなく、撮影日と時間が分単位で書かれている。

星座のならびは変わらなくても、天気や風景は時々刻々と変化するから、その組み合わせは一瞬しか訪れない。

写実的な絵画を観て「写真みたい!」と息をのむことがあるが、写真を観て「絵画みたい!」という感想を抱くとは。

つくづく、写真というのは一瞬を永遠に変えるなと感嘆した。

早朝から深夜まで

展覧会のフライヤーにも書かれているように、「空を見上げることをきっかけに広がる世界は果てしない」。

ついつい、手元のスマホの光を見下ろしてしまい、月明かりではなく、スマホ明かりに妖しげに顔が照らされがちだ。

でも、こちらも世界を広げてくれる。

むかしは紙製の星座早見表をクルクル回していたが、いまはスマホを空にかざすと、リアルタイムの星空をわかりやすく教えてくれる「星座盤」というアプリがある。

探しやすい

スマホごと、空を見上げる。

国際宇宙ステーションはちゃんと動く
(このときは地球の真裏にいた)

きぼうを見ようと誘ってくれた方は、これをフル活用して楽しんでいるらしい。

あと、あの日以来、きぼうが見える日に休み希望・・を出しているような気がする。

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