整うブラッドオレンジ
先日の坂道物語には、つづきがある。
神楽坂駅から《ドーナツもり》までは5分程度の道のりだ。
しかし、この日はほぼ夏日。
真上から照らしてくる太陽、風通しの悪い服装と黒いリュック、帰りは上り坂、そしてマスク。
すっかりゆでだこになってしまった。
坂道の滑り止めの輪っかが、今度は吸盤に見えてくる。
忍びドーナツの優越感と高揚感で気分も上り坂だが、グレーのジャケットを脱ぎ捨て、白シャツをはためかせても暑い。
どこかでクールダウンしたい。神楽坂駅まで戻り、メインストリートの神楽坂通りを下る。
神楽坂ときくと高級料亭や花街を想像してしまうが、メインストリートにはファミレスや大衆居酒屋、コンビニもある。
同時に、むかしながらの喫茶店や総菜屋、新進気鋭のカフェや菓子屋も軒を連ねる。
食べるものには困らない街、という印象だ。
せっかく神楽坂に来たのだから、ファミレスは食指が動かない。
かといって、残念ながら長居する時間もない。午後から会議がある。
「ちょうどいい」店はないだろうか・・・と、ゆでだこはユラユラと坂を下る。
ほどなくして、店先にならぶ大きないちごに目が留まった。
食べ物を食べ物で例えるのは野暮だが、ほぼ卵サイズ。
中からもう1個いちごが生まれてきそうな雰囲気も、まさに卵。
自動ドアにも巨大ないちごが描かれている。
たこがたこつぼに入るように、するりと吸い込まれたのは《ハピマルフルーツ神楽坂》。
2021年12月にちょっとだけ移転して、改装オープンしたという。インスタ画像が現在の店構えだ。
店先に並んでいたのは、自社農園で採れたという原宿ベリー。原宿といっても、関東のいちごの本丸、栃木県にある原宿だそうだ。
店内には、ガラス張りの厨房でつくられた国産果実のゼリーやフルーツサンドが並ぶ。
グレーや木を基調としたシンプルな店内に、カラフルな果物が映える。カウンタータイプのイートインも計4席。
巨大いちごも気になるところだが、フルーツサンドがならぶ棚に目を向けたら、もうブラッドオレンジサンドしか飛び込んでこなかった。
こちらも、まもなく旬が終わるはず。
気づいたらブラッドオレンジサンドをむんずとつかみ、お会計を済ませてカウンターに着席していた。
せとかでも清見でも紅まどんなでもなく、ブラッドオレンジ。生食用のブラッドオレンジはあまり見かけない。
オレンジなのに、いちごより深い赤。もはや真紅。紅に染まった生クリームを、とめられるやつはもはやいない。
サンドイッチが50円引きになるドリンクセットは、コーヒーか紅茶が選べるらしいが、なぜかアイスティーが品切れしていて有無を言わさずアイスコーヒー。
コーヒーは体質的に飲めないが、背に腹は代えられない。
もうそろそろゆでだこを通り越してたこせんべいになる。サンドイッチの生クリームで、胃のなかでコーヒー牛乳が生成されてなんとかなるはずだ。
ひさびさに飲んだアイスコーヒーは、喉が渇いていたせいもあって、鼻の穴が広がるくらいおいしかった。
そして、メインのフルーツサンドで目も開いた。
おそらくひと玉まるまる入っているであろうブラッドオレンジは、かぶりつくと果汁がブワーッとあふれでる。スッキリしながらもコクのある酸味。色も濃ければ、味も濃い。
火照って干からびかけた身体に、ビタミンやクエン酸やなんかそういう成分がガツンと染みこみ、スーッと熱が引いていくのがわかる。
サウナ後の水風呂は、こんな感じなのだろうか。行ったことないけど。
「おいしい」以前に「ととのう」フルーツサンド。
そして結果的にアイスコーヒーは正解だった。重低音のような響く苦みのおかげで、ブラッドオレンジの酸味だけでなく、奥深い甘味も強調された。
「おいしい」は、しっかり冷えた甘さ控えめの生クリームと一緒に、後からゆっくりとついてくる。
ブラッドオレンジは、柑橘類では唯一、ポリフェノールの一種アントシアニンを含んでいるという。眼精疲労に効くとかいう、ブルーベリーの代名詞みたいなあれだ。
wikipediaには、「筋疲労を抑制し、運動による過酸化脂質の増加を抑制したとの実験結果が得られた」とも書いてある。
店先でわたしをいざなった巨大いちごも、アントシアニンを含んでいるという。坂道の途中にイートイン付きの青果店があるというのは、なかなか理にかなっているのかもしれない。
その効果かどうかわからないが、半開きだった目は力強く全開。
たこせんべいからぶりぷりのたこ、もとい人間に復活し、意気揚々と店を出たところで、グーグルストリートビューの撮影車に追い抜かれた。
撮影から公開までは半年くらいかかるというから、秋頃の神楽坂ストリートビューに映り込んでいるかもしれない。ちゃんとした人間の姿で。
あと、わたしはいま無性にタコ焼きが食べたい。