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ひかれ続けるナンバー
うつくしか~
つぶやくあなたが
うつくしや…
先日、スピッツのファンクラブ会員限定ライブに行った。
ライブの序盤、ある演出を目にした草野さんが、おもわず地元のことばで「うつくしか~って感じ」とつぶやく。
こちらとしては、風を受けられそうな長いまつげや、驚いた瞳、耳と鼻のかたち、ブランケットのような歌声が唯一無二で「う、うつくしやァ…」だった。
星の数ほどの言葉数になってしまいそうな感想を、むりやり手のひらにおさめたら、意図せず冒頭の五・七・五になった。
前から不思議に思っているのだが、なぜ五・七・五はおさまりが良く、ここちよく感じるのだろう。
短歌や俳句など、昔から日本人のDNAに刻み込まれているリズムだから、という風流な理論は納得できる。
だが、なんだか物足りないし、煙に巻かれているような感じがする。
音楽的には、エイトビートのリズムと休符が関係しているという説がある。
【エイトビート】
1小節に八つの拍をもつリズム形式。ロックのリズムが典型。
エイトビート、いきなりロック。
わたしの脳内では、いま松尾芭蕉と与謝蕪村と小林一茶が対バンしている。
音楽のテクニック的なことは詳しくないが、とりあえずドラム叩いてみ?と言われたら、なんとなく叩きそうな感じの定番リズムである。
たとえば《秋深き 隣は何を する人ぞ》を声に出して、もしくは脳内再生するとき、無意識に休符を入れて
《あきふかき××× ×となりはなにを するひとぞ×××》
×=休符(間)
とリズミカルに読んでいるらしい。エイトビートのリズムに乗せて。
たしかに《雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る》のような字余りでも、間の取り方でエイトビートにのせられる。
しかし、今度は「エイトビートはなぜ気持ちいいのか」という新たな問いが生まれてしまった。
心拍数に近いとか、そういうことなのだろうか。疑問はいつだって数珠つなぎ。
そもそもなぜ「五」と「七」なのか。
脳科学や言語学的に解明されていないのか、と思い調べてみたが、どうも明確な答えは出ていないようだ。
ふと思いついたのは、五文字と七文字、十七音、三十一文字に共通するのが「素数」だということである。
【素数】
1よりも大きい自然数で,1と自分自身以外に約数をもたないもの。例えば、2,3,5,7,11などである。(中略)大きな自然数が素数かどうかを判定するのは一般に容易でない。
1と自分以外では割りきることができない、孤高の数字。
あらわれる順番に法則性はなく、数がつづく限り、無限に存在するという。
まるで流れ星のようだ。
まったく論理的な考え方ではないのだけれど、
割りきれない莫大な感情
筆舌に尽くしがたい絶景
突然で刹那的な心の動き
無限にあふれでる気持ち
を前にして、それを限られた文字数で唯一無二の短い歌にまとめようとするとき、素数の五と七はちょうどよい文字数なのかもしれない。
その五と七が積み重なって、十七となり、三十一となる。魔法の文字数。
あとづけ運命的な考えなのに、自分の中では妙に腑に落ちてしまった。
ちなみに、スピッツが結成されたのは1987年。
結成30周年にあたる2017年には、「1987→」と冠したビートパンクな曲が発表されている。
もしやと思い調べたら、1987は300番目の素数だという。なんといううつくしさ。
どうりで、心惹かれる不思議なナンバーばかりを鳴らし続けているはずだ。