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詩の美しさを守るために

 「夢日記」というものを付けている方もたくさんいらっしゃることと思いますが、私は特に付けていません。ですが、最近面白い夢ばかりを見ます。夫の目の前で不倫をしたり、食卓のものがどんどん消えていたり、会社にいて使われている夢とか。
 まあ、ただの夢だから気にすることはないのですが、この世界をすべて詩に変えられたら楽しいだろうな、とか思います(笑) 
 私は一番最初に詩の研究会に通っていた時に、アレゴリーを駆使して詩を書く書き方を習いましたが、その書き方が昔の自分の書き方に一番合っていたので楽しかったのを覚えています。寓話的な詩から、今は抒情的な詩へ。私も色々変化を遂げてきたと思います。
 しかし、アレゴリー詩には私は限界があると思います。アレゴリー、即ち寓話詩とは、一種のミステリアスさとか、奇妙さがあると思うのですね。そういったものって、最初は刺激的で面白いのですが、ずっとは続かない気がします。なぜなら、私が思うには、詩とはかつては宗教的な祈りから生まれたもので、もっと自然的で優しく、人に身近なものだと思うからです。だからもっと、詩は、優しくナチュラルで、人間的でなくてはならない。やはり詩とは人を癒すものだと思うのです。
 あと、「詩人は嘘つきだ」ということも言う人がいますが、これも間違いだと私は思います。詩は「心」そのものであるから、嘘つきでいい加減な人の書いたものからは何も伝わらないし、誠実で真面目で優しさに溢れた方が書いたものからは何かが伝わります。私はそういう詩を目指しているし、そういうものしか読みたくありません。
 良くも悪くも、色々なものが飛び交い、自分自身の純粋さを貫くことが難しい世の中ですが、私たちは私たちの持つ詩(心)の美しさを守りながら生きていくべきですね。

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