#104 フランスの村々へのスケッチ旅(その4) 人は何故絵を描くのか
人は何故絵を描くのか。
人は美しい花や景色を絵にする。ごく平凡な風景を好んで描く人もいる。
目の前の対象を絵画にしたら、どのようになるのだろうかと考える。絵を描く動機は人によって異なり様々だ。
時々パラパラと雨が降る天気のときは、軒下などに避難する。あの時もそうだった。
軒下の目の前は建物の基礎部分の石積みだった。こんなものが絵になるのか? と思ったが、取り敢えず座り、バッグからコーヒーのペットボトルを取り出し、飲みながら考えた。
人は何故に絵を描くのか。目の前の石積みをお前は描きたいのか。
いいや、美しくもないし、さほど描きたくはない。しかし、雨が時々パラパラとくるから、ここで描くしかない。雨に濡れずに描ける所をこれから探すのは面倒だからね。
その程度の気持ちで描き始めた。ここを描きたいといった気持ちが不十分なままでのスタートで、ペンの動きは鈍かった。
それでも、石の形、色、ツヤ、隙間の状態、苔、汚れなどを観察しながら描き進めた。
描いている途中で思った。
私は石積みを描いているのだが、時間の厚みを描いているのではないのかと。この基礎は何百年も前からここに存在する。その何百年もの時間を経て、石積みは表情を変化させてきた。そして、今後も変化を続けてゆく。
いま、たまたま通りがかった私が、その表情を絵にしている。何百年もの時間を感じながら、石積みと対話をしながらペンを動かし、筆を動かしている。
その結果、技術的な良し悪しは別にして、割と好きな作品に仕上がった。こんな作品もいいじゃないか。ペン画の線を活かした着彩ができている。文字通り自画自賛。
雨が振っていなければ、ここで描くことはなかった。この作品が生まれることはなかった。パラパラ雨は私にこの作品との出合いをくれたのだった。
人は何故絵を描くのか。
それは、新たな作品との出合いがあるからなのかもしれない。
*** そのとき描いた石積みの絵です。 ***