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#077 スカンノへの旅 (その18) 突然の音楽

 朝食後、教会の広場でのんびりと時を過ごしていたら、遠くからブラスバンドの音が聞こえてきた。見ると制服を身に纏ったマーチングバンドだ。力強い音を響かせながら広場まで歩いてきて、演奏を続けながら整然と並んだ。どの演奏家も実に凛々しい表情をしており、自信に溢れている。制服が醸し出す緊張感と演奏家たちの表情が、音楽に命を吹き込んでいるようだった。
 そうだ、Hさんを呼んでこよう。
 Hさんは今回のスケッチツアーの同行者の一人で、日本では絵画教室を開いているベテランだ。特に演奏家が演奏しているのをライブで描くことが好きで、路上ライブをやっている人がいると必ず描く。彼女が描いたバイオリニストの絵を持っているが、演奏家の腕の動きや身体の揺れまでが感じられる素晴らしい作品だ。音楽から生まれる、正に音楽と美術の共演作品といえる。Hさんはその絵を10分足らずで描く。いわゆるクロッキーだ。
 そのHさんに、このマーチングバンドのことを知らせたら、どんなに喜ぶことだろう。急いで知らせようと私は立ち上がった。
 その瞬間、私の目は大きく見開かされた。サックス奏者の斜め前で、スケッチブックを広げてペンを走らせている日本人女性がいるではないか。正しくHさんだった。そりゃあ、そうだ。これだけ大きい音だもの。ホテルの部屋にいても聞こえるに違いない。Hさんはすぐさま飛んで来たのだろう。
 何曲が演奏したら終わりになった。楽隊の人たちは、にこやかな顔をして、語り合いながら近くのバールに入っていった。演奏後の演奏家の表情はいつも美しいと私は感じる。美を追求する者が共通に持つ美しさ。音は一瞬で消えてゆくものであるが、その一瞬一瞬に全精力を掛けた者がもつ満足感。そんな様子を見ながら私はスケッチに出掛けていった。

 その日の最初に描くポイントは前日に決めていた。町のメイン通りから数メートルの所に座り、古い建物のスケッチだ。心の中には、先程聞いた音楽が流れていた。イタリアに来て、生の音楽を聴いて、生の風景をスケッチするなど、なんて贅沢な旅なんだろう。
 一枚目の絵を半分くらい描き進めた頃、心の中に流れていたマーチングバンドの音楽が現実味を帯びてきた。なんと、休憩を終えたマーチングバンドが演奏をしながらメイン通りを歩いてきたのだ。どうやら町の中を一回りするようだ。
 いやあー、楽しさ最高! きっとHさんも町のどこかで遭遇するであろうと目の前を通り過ぎるマーチングバンドを見ていた私の目は、再び大きく見開かされた。
 なんと、マーチングバンドの隊列の中にHさんがいたのだ。完全に溶け込み、歩きながら音楽を楽しんでいる。Hさんの行動力と実践力は、人並み以上のものだと以前から思ってはいたが、ここスカンノでもしっかり発揮している。
 マーチングバンドの音楽は建物の壁と石畳に反響して響き渡り、力強さが数倍になって私の身体に届いてきた。この音楽の力強さ、そしてHさんの行動力。ライブ感満載のこのシーンの片隅に私がいる。そのことに幸せを感じた瞬間だった。

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