この世で一番嫌いな質問。よくわからないなりに #6
人類が揃って訊いてくる質問がある。
例えばこれ、
「人生最後の食事は、何が食べたい?」
いきなり聞かれても困る。
食に関する限り、こちらの肉体的な状況が非常に重要なファクターであり、かつ年齢や季節、疾患の有無等、様々な要因が影響するにも関わらず、肝心の設定の定時が何もない、非常に不親切な質問といえる。
なので、私は考える。
そして、考えながら浮かんだ質問をする。
Q. 今、天に召される設定か?
今であれば、餃子だ。
Q. 今でないとするなら、季節はいつか?
夏ならばうどんを入れたガスパチョ、
秋なら栗か焼きなす、
冬ならシャブシャブも捨てがたい。
だがしかし、
どうせ人生を終える直前であれば
アレルギーが発覚して以来ずっと控えている、大好物の乳製品祭りでしめくく流という野望もある。
Q. 乳製品は一括りでオッケー?
この場合、だいぶ品数を盛り込めてお得な回答だ。
だがしかし、
考えてみれば、例えば餃子やとろけるチーズは熱々でなければ存在価値がなく、逆に、ガスパチョはキンキンに冷えていて欲しい。そうなると、温度を保つ設備やタイミングが必須条件となるため、入院している場合に叶えるのはかなり難しそうだ。過去の入院経験から察するに、場所を問わずにぬるくても美味しいもの、例えば柔らかい白パン、バターたっぷりのクロワッサンも考慮にいれるべきだろう。いや、疾患によって食欲がすぐれない場合には、「月夜野りんご」や「せとか」など、大好きな季節の果物が至高の逸品にも思える。
加えて私は歯が丈夫なほうではないから、もし高齢である場所には、噛みやすさを優先すべきかもしれない…
と、ここまで真剣に考慮し、ようやく答えが確定し始める頃、
残念ながら相手は、もう私の回答には興味を失い、つまらない相手につまらない質問をしたことを悔いてさえいる。
だったら聞かないでくれ…と想うが、とはいえ、以前はもっとシンプルに「え?わからん」と答えていた。
元々は食に全く興味のなかった私が、ここまで真剣に考えてるようになったのは、食料事情が厳しいキューバ暮らしの影響である。
キューバ在住時、日本に一時帰国する予定が決まると、真っ先に考えるのは食事の回数だった。朝はほとんど食べないので、食事は昼と夜の2回が基本。滞在日数✖️2の数、例えば20日間帰国するのであれば、日本で食事をする機会は約40回となる。
40回。
初めての一時帰国の際、何気なく計算してみただけの、この具体的な数値はいささか衝撃だった。生命しかり、無限に続くような錯覚を起こしていた”食事”という営みが、自分の中で有限の存在となった。
一度だけ、帰国直後の実家にて、時差ボケでぼ〜っとしたまま、ふと目の前にある父の食べ残しのシャケと冷えたご飯を食べてしまった昼食の悔いたるや凄かった。
金輪際”40分の1”という貴重な食事の機会を無駄にはしまい。
この時の決意がわたしの食への真剣スイッチとなった。
ただし、真剣さとはなにも、高級食材や手の込んだ料理、健康や美味の追求を指しているのではなく、例えば、サッポロ一番塩ラーメンに成田食品のベストモヤシを入れられる贅沢、近所のスーパーでポン酢を6種類から選べる幸せ、ラムネ菓子だけで2段も並んでいるお菓子棚の芳醇さなど、日本ならではの幸せを深々と噛みしめる感性を全開にして、食事への幸福度をガンガンに上げる努力、それがわたしにとっての真剣さである。
と、思わず熱くなってしまったが、
今日のテーマは食ではない。
さて、人類がこぞって質問することは他にもあり、
「生まれ変わったら何になりたい?」
「明日地球がなくなるとしたら、何する?」
この辺りも定番ではなかろうか。
これらの質問も、最後の晩餐質問しかり、あいまいでなんとも答えようのない設定である。
が、こうした漠然質問類の中でも、わたしにはとびっきり嫌いな、この世で一番嫌いな質問があった。それは、
「地球最後の日、誰と一緒にいたい?」
というものだ。
中学、高校辺りからやけによく聞かれるようになったことを記憶している。今振り返れば、質問の本意はおそらく、色恋に目覚めた思春期特有の、ムンムンきゃっきゃウフフ気分の、つまるところは「好きな人誰?」という問いの変化球であり、その相手と地球最後の日を迎えるという妄想を抱いて騒ぎたいという、どうでもいい質問だったのだろう。
しかし、わたしはこの質問にいちいち心を痛めていた。
おぼこくて恋する気持ちに酔うことを知らずにいたこともあるが、聞かれるたびに、先に自分が誰と過ごしたいかを考えるまでもなく、即座に「わたしを選ぶ人なんて男女問わず誰もいない」という絶望感に襲われてしまうからだった。
「わたしのことを選ぶ人はいない」
この確信は一体どこから来ているのか、当時はそんな自問することもなく、普段はただひたすら孤独感にキッチリとフタをしていた。しかし、この世界一嫌いな質問は、人がせっかく閉めているフタをいちいちガタガタ揺らして開けるのだ。開いた隙からは嗅ぎたくない孤独感が湧き立ち心をえぐる。だから、さらにキツくフタを閉めようとしては、また開けられるの繰り返しだった。
当時の生活圏には、父母、姉、友人、そして、時には恋人もいた。なのに、全身の毛が一瞬で泡立つほどの哀しい確信は、フタをキツく閉めれば閉めるほど、心の奥へ奥へと、柔らかく純粋な襞をドロリと溶かして、昏い底なしの穴を開けていた。
やがて20代になると、この質問をされる機会はなくなった。が、もはや何度も繰り返し開け閉めしたフタはとっくに壊れて、絶えず心の底からは孤独の不気味な気配が噴き上がり続けている。
それでもひたすら無視し続けていたら、今度は、パターン化された悪夢となって定期的にわたしを脅かすようになった。
夢の内容自体はたいしたものではない。
たいていは無人の教室か大きな部屋に一人で静かにしている。
するとクラスメイトや知人友人が大勢、どこかから帰ってくる。
わたしは一人だけ何かに参加していなかったことを知られたくなくて、
心臓をバクバク言わせながら逃げ隠れる。
これが基本のパターンである。
内容的に、例の嫌な質問と繋がりがあるのか不明に思われるかもしれないが、この時の夢の中で感じる心臓の痛みや悲しさ、苦しさがまさしく同じ振動だったのだ。
ちなみに、当時は他にも激烈な悪夢ばかり見ていた。
中でも、4大悪夢パターンというのがあり、この逃げ隠れる夢も、その一つなのだが、活字で描写してみると、他の、ここに書くのは躊躇されるような、エログロで、サイコパスな、非人道的パターン類に比べると、どうっていうことのない部類の夢に思える。
しかし、目覚めの感触は群を抜いて悪かった。大抵は重い金縛り状態になったり、号泣する自分の声で目が覚めたり、覚めた途端に吐いたり、とにかく身体の反応が激しくて、心臓は割れそうなほどに激しく拍動していた。
この悪夢期は5年ほど続いた。
途中、別件でカウンセリングを受けた時に相談したり、自分でアートセラピーの学校に通って心理学の勉強してみても、悪化こそすれ、改善される兆しは全く見えなかった。
が、30歳の時、ようやくこの悪夢に終止符が打たれた。
あの日、私はお盆休みで実家に帰り、そこに遊びに来ていた姉と、5歳になる甥っ子を真ん中に挟んで川の字で眠っていた。
すると、例の悪夢を見た。
今回のシチュエーションは横溝正史モノのヒロイン令嬢が住んでいそうな大きい洋館で、私はだだっ広いサロンか、居間のようなところで一人立っている。すると、玄関の方から、中学や高校、大学と、これまで知り合ったあらゆる女友達たちが大騒ぎして帰って来た。私は猛烈に慌てて、ソファーの後ろやキャビネットの影に必死に隠れて、皆に気づかれないように部屋から逃げ出し、暗い廊下や玄関を抜けて、道路に飛び出した。時は夕暮れ、私の向かいに日が沈み、背後に長い影を作っている。寂しさで潰れそうに痛む心を抱えながら、自分の影を追うように振り返り、どこかに帰ろうとしたその時、顔をあげると、道の先に甥っ子がいた。
うんち座りをして何かをじっと見つめているが、
わたしを見つけると満面の笑みで嬉しそうに走ってきた。
ゆうこちゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん
駆け寄る甥っ子を抱きしめた瞬間に目が覚めた。
すると、隣で寝ていた甥っ子は、すでに先に目を覚ましていて、起きた私に気づくと、夢と同じ満面の笑みで突進してきた。
ゆうこちゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん
おはよう!
こう叫びながら布団をゴロゴロと転がってきた甥っ子をギュゥゥゥっと抱きしめる、可愛い頭皮の汗ばむ匂いを嗅ぎながら。
その時に初めてわかった。
私はもうすでに、地球最後の日に一緒にいたい人を見つけていた。しかも、この子が誰を選ぼうとかまわないし、むしろ、この子がこれから誰か、最後の日を一緒に過ごしたいと願うほど愛する人を見つけて欲しいとすら願っていた。
そしてきっと、姉も姉の夫も、私の父も母も、きっと甥っ子を選ぶだろうから、そうしたら結局家族全員で一緒に過ごせるし、
そんな風に、人がそれぞれ、相思相愛だけではなく、色んな人を選んでいけば、どんどん連鎖して、たくさんの人と繋がって、みんなで最後の日を迎えることができるじゃないか、なんてことにも気づかされた。
以来、この悪夢は一度も見ていない。
心に穴が開いたのには、きっと理由があったのだろう。その理由は、人生でだんだんと、ふつふつと、発酵した気泡が一粒一粒浮き立つように、じっくり理解していくものなのだろう。
ありがたいことに、体の擦り傷や痣と同じように、心の傷でも、だんだんと、じわじわと、それこそ、傷ついた理由は理解できていなくても、少しづつちゃんと埋まり始める時がある。そして、埋まりながら、治りながら、時々そっと、穴が開いていた頃の記憶や、穴が開いた理由を語るような、静かな音が、ふつふつと、浮き立つように聞こえてくるのだろう。