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「生き型」と心の遣い方~川を見て、思い出したこと~
母方の祖母は、折れて使えなくなった縫い針を、豆腐に刺して、近くの川に流していたという。
いわゆる針供養(はりくよう)。
こんにゃくの場合もあるとのこと。
イメージした見た目がどこか滑稽で、しかも「川に流すんかーい!」と初めて聞いた時は、おかしくて笑ってしまった。
でも、その直後、なぜだか泣きそうにもなった。
――「あー、そういう心の遣い方もあったんだね……」というような。
単に、物を大切にする、とか
感謝の意をこめる、という以上に
長らく針を使った手仕事をした時間、そこに懸けた使い手(自分自身)の思いの蓄積にも報いている感じがする。
緑色にも いろんなグラデーションや呼び名があるみたいに、
また違った色合いの「優しさ」なのかも。
藍染で、さいごの最後、藍が死ぬ前に出す色を、「かめのぞき」というと聞いたことがある。
限りなく白に近い青?
針供養は、そんな「かめのぞき」みたいな、死を内包した優しさがある気がする。
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日本列島各地で、針供養が脈々となされてきたのだろうけど、
それは毎回誰かがオリジナルで思いつくのではなく、伝承されてきたもの。
伝承や風習は、一見古い生き方に思われるけれど、
守破離のように、一度、型を身につけることで
おのずと受け継がれる心もあったはず。
(生き型?)
風土の慣習から逃れて、自由にはなってみたものの、
何を受け継ぎそこねたんだろうか。
羊毛ニードルの針が折れたら、とうふに刺してみようとおもう。