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No.116 「自分をお世話する」という「幸せ」
幸せの実体、について考えてみたいと思います。
「幸せ」と一口に言っても、目に見えないものですから、一体どんな時にそれを感じやすいのか、一体どの感覚のことを「幸せ」とよぶのか、と哲学してみたいと思うわけです。
その中で最近私が思うのは、
自分のお世話をする、というのは実は幸せの実体そのものなのでは、ということです。
お世話されている状態になるのではなく、お世話をしている最中そのものが。
これは昨日の回115回でお話ししました、幸せは「具体」が大切であって、「輪郭」ではない、という話にも通じます。
この「自分をお世話する」というのは実は、かなりこの「具体」を満たすものだと私は考えます。よく世の中でいうところの「自愛」もそうですね。
でも、「自分をお世話する」というと具体的に自分に何を買ったげるとか、美容院にいかせてあげる、とか、マッサージに連れて行ってあげるとか、嫌なことをサボるとか、そういうことをイメージしがちですが、実はそれはまた一味違うものだと感じます。もちろん、それをやることもいいですが、もっと簡単で、小さいシンプルなものなのではと私は考えます。
そして、同時に、見過ごされやすいもの、なのでは、とも。
「自分のお世話が完璧にできている」ということより「自分を自分でお世話する」というアイディアを持つこと、それ自体が「幸せ」の実体なのでは、と思うのです。
ちょっとこの「お世話」の意味合いの幅が広がることで、幸せの具体として感じやすい、「自分が自分として生きることを今日もやっている」というじんわりとした確信を感じやすいのでは? とうことです。
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