指導者が見落としがちな要素/講話型のカリスマ講師なんかで終わるな!
講話型よりも議論型指導の勧め
以前にも少し触れたのですが、日本の(英語)教育が少しでも良くなるならと願って書いてみます。
私が講話型に併行して議論型授業(brainstorming含む)を提案するのは、1度の指導内容の伝わり方と習熟度が200%違うからです。
つまり、生徒たちの考えるという思考力を活かさず、どんなに有名で優れた先生が授業を講話的(一方的/放射的)にしても効果は限定的です。
具体的に言うと、答えを知っている上でそこに至るまでの解説スキルは様々で、それが上手い指導者が生徒たちからの支持を得られカリスマ化され予備校側からの評価も高いとは思います。
何も間違っていません。
でもそこで止まるのはあまりに勿体ないのです!
なぜ生徒たちの潜在力を引き出すための議論や理解度を確認し合う話し合いを授業内でしないのでしょうか?
これは教師や講師のみならず、何かを指導する立場の人たちが意外と見落としている要素です。
習う側の人たちが話し合い考える時間や機会が1回のlesson内では不可欠なのですが、まだ日本ではあまり普及していません。
一気に生徒たちの目が変わり、活気が出て色々な意見も出ます。
講話型よりも議論型指導のパワー
"私の尊いお話をおとなしく聞きなさい!"のようなマナー講師のおばさまを時々TVなどで見かけますが、それはその人の価値観の押しつけでその場限りのものです。
狭い空間の中で本人は偉くなったと勘違いする程度ではプロとは言えず、ただの"説教者"で本来お金を頂くレベルではありません。
指導者はカリスマでも神様でも何でもなく、いわばプレーヤーたちが変な方向に進んでいないかを見て共に考え修正するコーチ役なのです。
時に正解がないところへの挑戦になることも多いのが当たり前です。
これは日本の少年野球の監督さんをはじめ、スポーツなどピラミッド社会の上のレベルに行っても、多くの分野でまだまだ行われている指導スタイルではないでしょうか!?
その結果、生徒や選手を委縮させてしまい考える力を奪いただ指示を待つ、
本来の学問やスポーツが持つ考えて実行する「試行錯誤」"try and error"の苦しみ楽しさや潜在能力を奪い潰してしまうやり方です。
逆に、そこに気付くことが出来れば、昨夏高校野球優勝校の監督さんのように、別人ような素晴らしい指導者になれるのではないでしょうか!?
不祥事を機に指導スタイルを180度変えましたと。
一つの実例
指導者ではない話ですからポイントは少しズレますが、私の近所にボランティア活動でマジックショーをショッピングモールなどで定期的に行っている方がいます。
ある時、その方から、「多くの人たちの前で話をする仕事もしてるそうですが、何か秘訣がありますか?」と聞かれた時に、咄嗟に50~100人授業一斉指導の経験(2人/4人を一組として25のグループに対して指導)を思い出しました。
前半に述べた議論型の応用で、淡々とショーを進めるのではなくて、一度ボール(例えです)をお客さんたちに投げてみてはどうですか。
「1つのネタの途中で、これからどうなると思いますか!?」のように。
すると必ずお客さん同士は話し始め会場はざわつき、その内に"こうなると思う"などの声も上がり始めた時に、その一旦投げたボール(比喩として)を引き取って、
「実はこうなるんですよ。ご推測当たりましたね or 残念ながら外れましたね」などと1つのネタごとに進めていきます。
「そうすると全員がその場所だけではなくショーの中にも参加できたという"一体感"が生まれ、お客さんと演者側もキャッチボールができてとても楽しいショータイムになると思うのですが」とお伝えしました。
後日お会いした時、嬉しそうに「バッチリでした!」と言って頂けました。
指導者は先生というよりコーチ役
あくまでマジックショーは一つの例ですが、生徒間にも科目ごとに得意不得意な人がいます。私の場合、英語と国語指導が主ですが、必ず得意な生徒と不得意な生徒でペアを組んでもらいます。
すると苦手な生徒も皆の前で聞きづらいことも相手にどんどん聞きますし、それに応える得意な生徒もまた力をつけていきます。
何故なら、"Teaching is learning, and learning is teaching."だから。
私は敢えて、ある程度、黙っている時間を作り、各ペアーの話していることの問題点や凄い発想をしていないかを聞き逃さず集約しながら次の問題提起の段階に進んでいきます。
そういう共に考えながら導きやサポートが指導者またはコーチの役割と思って、私はこれまで実行してきました。
その土台にあるのが、別の投稿で触れていますが、大学4年時に3年生はインターハイ経験者が多いバスケットのコーチ役をして、前期に半ばノイローゼ気味になった経験でした。
脱サラ後共同経営の塾で、進学校の生徒たちからどんな質問が飛んでくるかもしれない恐怖の1年半の授業から学んだことも大きいと思います。
ですから、決して理想論でもアメリカ形式の模倣でもなく、私個人の緊張の連続から生まれた考え方/手法ですから、"オリジナリティー"には自信があります。
このやり方の実際評価
少し自慢話になりますが、これも他の投稿で少し触れていますが、私はこのやり方を地元No.1大学進学塾の経営者と生徒たちから大きな支持を得られ、各教室では机と椅子が足らず立ち見で授業に参加してくれていました。
学卒で理系科目担当で国立大医学部再受験をする講師の人たちまでが、毎回出席には参りましたが。
その経営者の方から「時給は私の言い値で夜のみ専属で」という私が後にお断りする夢のような有り難い提案も頂きました。
指導される立場の方たちに少しでも共感して頂けるところがありましたら、一度ご自分のlessonの中で試されて下さい。
この考え方は、多人数だけでなく1対1の個人指導やプレゼンテーションにも使えるメソッドです。
実際にスペインの有名サッカークラブでは、コーチが一切「教える」という概念を廃止したと最近聞きました。選手が教えてもらうという受け身の姿勢になるのを避けるためだそうです。勿論、好成績を残しているのは言うまでもありません。
今回も最後まで読んで頂き有り難うございます。
下記は関連投稿です。