『光る君へ』恋愛指南書ルールズを地でいく恋と「物事のあらましが見える」俯瞰力について
大河ドラマ「光る君へ」を毎週楽しみにしている。
娘トラが絶賛するラノベを読んでもさっぱりときめかない私が、まひろと道長の恋の行方に年甲斐も無くキュンキュンしてしまうのだ。
下級貴族の娘まひろは、道長を想う恋心に気づきながらも身分の違いや相手の将来を考え、恋に全力でつき進めずにいた。
いっぽう会えそうで会えなかったり見事にすれ違ったりするもどかしさが、道長の恋愛感情に一層火をつけていく。
それはまさに婚活のバイブル「ルールズ」を地で行くようなもので、やっぱ恋愛って女が引いて男に追いかけさせるのが成就の秘訣だよな、などとドラマを見ながらひとりごちている。
ちなみにルールズについて書いた旧ブログはこちら。
ルールズは「簡単に落ちる女になるな」「いつも彼のために週末を空けておく女になるな」「ミステリアスな女になれ」など、恋愛を成就させる秘訣を説くベストセラーの恋愛指南書。
新バージョンが多数出ているようだが、たぶんこちらが元祖ルールズ本。
話をドラマに戻します。
時の権力者、藤原兼家パパが「一見トボけた奴だが実は物事のあらましが見えている」と評する三男坊道長。
それはいわゆる俯瞰力のことだと思うが、その片鱗は男より賢くともすれば小生意気にも見えるまひろに恋をしたり、藤原一族を揶揄する散楽(大衆劇)を罰するどころか面白がったり、平民だが一本筋の通った直秀と友情を育んだりといった場面にも見て取れる。
いっぽう下級貴族の娘まひろは、馴染めそうもない貴族の女子社会に持ち前の知性で自分の居場所を見つけ、漢詩で培ったこれまた俯瞰力で政治家道長を陰ながら支えていくのだろう。(勝手な想像です)
ドラマはまだ序盤だが、史実では結ばれない二人が心を通わせながらも小栗義時や松潤家康のように清濁併せ呑むオトナへと成長していくのかと思うと、少し寂しくもあり楽しみでもある。
ところでこの俯瞰力は誰もが持てるものではなく、自身の見えなさを日々痛感する私にとっては憧れであり、コンプレックスですらある。
ドラマの2人を見てもわかる通り、見えすぎるがゆえの苦悩があるのは知っている。
しかし自分の遥か上を行く思考の持ち主に出遭った時の敗北感(というと語弊があるが)というか劣等感は半端なく、そういった人々が見ている世界はどんなだろうと、知りえないだけに知りたくなってしまうのだ。
そんな私は無知の知といおうか、自分には見えない世界を見渡せる人がいる、という畏敬の念のようなものは常に意識して人に接しているつもり。(それでも失言したりと多々失敗してきたが😓)
それがただでさえ薄い存在感を更に薄くし、下に見られたりもするわけだが、それが私の処世術であり取り得でもあると思っている。
少なくとも、自分の見えている世界が全てと信じて疑わないわが夫みたいなヤツよりは上手に生きていると思いたい小さなプライドはある。(あくまで夫婦比)
ふたたびドラマに話を戻します。
ドラマ内では、何気に映される和歌や漢詩に実は深い意味が込められていたり、源氏物語の元ネタを匂わせるシーンが散りばめられていたりと古典ファンにはたまらないのだそうで、実に羨ましい限り。
そういった教養のない私は、考察が書かれたSNSを徘徊するのが月曜の楽しみになっている。(ちなみに昨今はSNSの考察を眺めつつドラマを見るのは当たり前のことなんだそうで、知らなかった。)
さすがに和歌や漢詩までは手が回らないものの、最近はせめて大和和紀さんの傑作「あさきゆめみし」でもウン十年ぶりに読み返してみようかな、などと思う今日このごろである。
テーマ曲の反田恭平さん(ピアノ演奏)も素晴らしい✨✨