スーツケース警察にわが子の鈍感力を憂う
北陸新幹線に乗車した時のこと。
この日は少し肌寒く、トイレに出入りする旅行客が通路を頻繁に往来していたのだが、その中の1人が窓側に座るトラに向かって言った。
「そのスーツケース、キャスターにロックかけてる?
もしかしてロックついてないんじゃないの?」
見上げると、いかにも口煩そうな年配のご婦人が身を乗り出し、トラの足元にあるスーツケースを覗き込もうとしている。
私は「人に迷惑がかかるからちゃんとロックしてよね」とでも言いたいのだなと察した。
だが聞かれたトラは
「ロックはついてないです。」
と正論で返した。
実際、トラの小型スーツケースにはキャスターのロック機能が無かったのだ。
ご婦人は
「あぁそう!
私、前にスーツケースが通路に転がってきて痛い思いをしたのよね!」
と言い捨て去っていった。
この時トラは座席のテーブルを引き出しており、テーブルのアーム内にスーツケースのハンドルを伸ばした状態で収まっていたから転がり出す恐れはなかった。
仮にテーブルを畳んでいてスーツケースが転がったとしても、隣(通路側)に座る私の脚が壁となり、痛い思いをするのは私だったろう。
だがそんな理屈を並べても無駄。
あのご婦人は、とにかくひとこと言いたいタイプなのだ。
思考をぐるぐるさせる私とは対照的に、聞かれた張本人のトラは悠々とスマホに戻っている。
通路を挟んで隣の夫は、スポーツ紙から目を離そうともせず安定の無関心。
こんな小さなやり取りに動揺するのは私だけ。
その心情を家族の誰とも共有できず、虚しさを覚えるのも私だけなのだ。
私は失望を予感しつつもトラに言ってみた。
私:「あのおばさんはさ、『ちゃんとキャスターをロックしてよね』って言いに来たんだよ。」
しかし同意どころかたちまち険しい表情になるトラ。
トラ:「えぇーっ!?
違うよお母さん、ぜったいに違う。
それお母さんのいつものひねくれた考えだよ!
あの人、私のスーツケースを確認したかっただけだよ。」
さすが夫譲りの鈍感力。
なるほど悩みがないわけである。
私:「いやいや・・・
あれは遠まわしに注意したの。
そりゃロックしないと危ないのは確かだけどさ。
ああいう人って警察みたいにパトロールして、言いやすい人を見つけてはマウント取ってるんだろうね・・・」
トラ:「お母さん、腹黒過ぎー!
うっざ!」
うっざと言われては黙るしかない。
ところがその数分後。
トイレの帰りと思われる例のご婦人が前方の通路で立ち止まり、旅行客に何か語り掛けているではないか。
私はスマホに見入るトラに、「ほら見て、やっぱりね。」とドヤ顔で言いかけてやめた。
それこそがマウントであり反発心を煽るだけだ。
そうして私は、喉元まで出かけた言葉をグッと飲み込んだのだった。
さてこのように鈍感力高めなトラは、学校生活でも女子のプチ意地悪や遠回しな嫌味があまり刺さらないようで、深く悩むことがない。
敏感気質の私から見ると、その鈍感さが羨ましい反面、将来組織の中で働いた時にさぞ周囲の人をイラつかせるのでは…?と心配になる。
だがこればかりは今から考えても仕方がない。
少なくとも、本人が悩まないことを勝手に問題化して思い悩む私よりは生きやすいことだろう。
今はただ、その鈍感力で明るく生き抜いておくれと祈るしかない母なのだった。