今の自分は、もう過去の自分とは違うのだろう…
少し長く生きられそうです
昨日は肺腺癌の宣告後、初めて病院に行きました。
転職先が受け入れてもらえるのか、わたし自身、正直未知数でわかりませんでしたので、その確認まで治療を保留したい旨、宣告時に担当医に伝えていて、そのために、その後の対応を含め土曜日の診療の貴重なお時間をいただいて、今後の治療の方向を決めることにしていました。
また、昨日、あらためて担当医が一番心配されていることは、癌が肺の背中側の末端にあって、それが内蔵を守るために一番内側にある膜とギリギリのところにあり、この膜に転移してしまうと進行癌になる可能性があるため、できるだけ早めの措置が必要とのことでした。
癌の宣告が10月28日(金)、その後、落ち込んでしまい呆然として何もできず、何とか気を取り戻し、実家の両親や妹、転職先などにメールしたのが翌29日(土)の夕刻から夜、転職先が把握したのは多分31日(月)と思われ、次の日が入社日という中、いろいろとご対応いただきました。本当に感謝です。なにはともあれ受け入れていただいたことに感謝です(本当に直前だったので、いきなりということもあるのかも知れません)。
一番危惧していた健康保険証に関しては、証明証の発行ができていました。昨日5日に病院でも切り替え処理できましたので、まずは一つの課題は乗り越えることができました。
ただ、任期付きの身分での採用者が、いきなり数日の全休暇取得、その後、欠勤となると大きな問題になることから、色々と動いていただき、病気の際の、どうしても勤務ができない場合の対応を考えていただきました。結果的には、まずは医師の診断書が先に必要で、これが無いと、これらの対応もできないということでした。
昨日(5日)、担当医に転職先での感触と今後のこと、治療のための休みに関しても包み隠さずお話させていただきました。とにかく早期に治療を行うためには、まずは医師の診断書がないとスタートが切れないことを把握していただいて、本来は診断書発行に時間がかかるのですが、これを即日発行していただきました。本当に感謝しています。ここでも人生の危機を、何とか綱渡りのように次に繋がったと、何度もお辞儀していました。
また、治療日程上も考慮していただき、11日(金)にMRI検査とPET検査を先にして、17日(木)に呼吸器外科の診療(MRIとPETの判断結果と今後の治療方針)をすることになりました。17日(木)は、呼吸器外科の診療の後に、担当医(呼吸器内科)の先生とも診療の時間を入れてもらい、そこでもフォローしていただく事になりました。この病院のサポート体制に本当に救われています。癌が他に転移していなければ、11月末には肺の一部の切除手術になりそうです。
昨日(5日)の診断の後、外来受付で診断書をいただき、その後、がん患者のケアをされている看護師さんから、病院からのサポートについてお話をお聞きしました。
わたしも良い歳をしたおじさんではありますが、長年病気とは関わっておらず、また関東に住んではいるものの、こちらには身寄りもないため、入院時のサポートや、退院後の静養関係でのサポートに関して色々と教えていただきました。
前回「CTガイド下肺生検」での入院の際は、緊急連絡先は実家の父にしていましたが、親のショックもわたし以上なので、次回入院の際は、福岡にいる妹を緊急連絡先に変更する旨もお話しました。
その後、会計を済ませ帰宅…
帰りに駅前のスーパーで、いつもより多く食材を購入しました…
わたしは毎日、朝起きて直ぐに体重を測るのですが、10月3日には97Kg(身長は181cmなので、やや小太り感があるように見えます)あったものが、「CTガイド下肺生検」での退院日で94.9Kg、11月1日の転職日当日で90.4Kg。ほぼ7Kg程度体重が減少し、これから入院のために体力勝負なので、とにかく食はすすまないけど食べるしかないと思い、今朝で91.2Kgまで少し持ち直しました。
もう、ネットで肺癌に良いと思われる食材を目にしたら、嫌でも一度は試そうかと思い、少々多めに購入した次第… 今まで飲むのも見向きもするのも嫌だったトマトジュースも毎日飲んでいます…
甘えて生きる
個人的には、仕事の上ではチームワークを大切にしている方ですが、逆に個人的に自己分析すると、実のところは落合信彦風な狼のように生きることの方が性に合ってて、とにかく人を頼りにすることが嫌で、またそれを恥ずかしいことだと思っている節がありました。
なので、人知れず隠れてコツコツと準備していくことが自分のベースになっていたように思います。人に頼む際も、6割が返ってきたら十分良いパフォーマンスだと思っていた次第…
その自分が、まさか人に頼らないと生命すら危険になるとは、正直思いませんでした。
今は、病院の先生や看護師の方々にも、そして転職先の初めてお会いした多くの方々にも、そのご厚意に甘えるしかわたしの生命と人生、そして未来を続ける術がありません。個人的には本当に自分自身ではどうしようもできないところがありますが、そんなわたしを何とか全力でサポートしていただいている、そのご厚意に本当に心底感謝しています。
今はそのご厚意に対して、わたしがお返しできるものがありませんが、何とか早く病から復帰して、同期入社の人を追いかけ、それ以上のお返しができるまで、ひたすら頑張るしかありません。その意味では、名残惜しい自分の臓器の肺ではあるけれど、それを切除する覚悟ができました…。
昔、ヴィクトール・E・フランクルが書いた『夜と霧』という本があります。かれはユダヤ人で、ナチスの強制収容所に入れられた悲惨な経験が、この本の中には沢山綴られています。かれがそのような環境の中で生き抜いた、いや、生き抜けたからこそ本として記された、その貴重な教訓は「生きるには意味がある」ということ。
そういえば、ヴィクトール・E・フランクルについては『夜と霧』を読んで以降、貪るようにかれの本を購入しては読破していった時期があります…。今、あらためてかれの本を思い返し、人生の意味について考える時がきたのかも知れません。
きっとわたしの突然の不幸も、人生の中においては「意味あること」なのかも知れない。その意味が何であるかを、これから感じ取る日々が続くのだろう…。そして、もともとわたしが苦手とする「人に頼ること」を、この人生の転換点でわたしに教えてくれようとしているとポジティブに考えるべきなのかも知れません。
今は、たとえ罵られようと、陰口を言われようと、とにかくご厚意に甘えることしかできない。その甘えることに対しては、やはり苦手意識を持っているけれど、それでも甘え尽くし、もっと図太く生きろという理解をするしかないのだろう…
今の自分は、もう過去の自分とはちがうのだろう…
とはいえ、葛藤の記録も残しておこう
10月28日(金)に肺腺癌の宣告を受け、愕然とした中で、一時頭をよぎったことも、ここに隠さず残しておこう。
転職先に関しては、本当に自分の経験にマッチしたワクワクするDX推進案件が沢山あり、最初からスタートダッシュでコケることは許されないと思ってました。
そのような考えから、転職先には肺腺癌であることを隠し、病院にも治療を打ち切り、たとえ死んでもいいから新たな仕事をやり遂げたいと頭をよぎったのも事実です。
10月28日(金)昼に病院を後にし、落ち込みながら帰宅後、本当に人間とは呆然になってしまうことがあることを初めて経験し、ただただ自分の不幸を呪った…
呆然としては何も進まないので、人間ドックから癌の宣告をもらう前までの経緯を、すでに面白おかしく下書きしていたので、これまでの過程を自分の頭での整理も含め、それに癌の宣告までの内容を追加すべく、note用の文章を綴りました…。
夜中になり、それらの文章を一気にnoteにアップしました。しかし、まだ親に連絡するにも躊躇しました。
寝ようにもなかなか寝れず、それでも忘れたい気持ちもあり、コタツに潜り目だけ閉じました。その後、何とか寝れたようです。起きてみたもののショックは消えることなく、悶々としていたようです。
10月29日(土)13:27にようやく気を取り戻し、スマホのショートメールで妹向けに、今日明日中に長文のメールを送るから妹と父のPCのメールアドレスを知らせるように依頼した。
とはいえ、親が悲しむのを望まない思いが強く、結局最初は、前職の上司にTeamsのチャットで短く「肺腺癌の宣告を受けました。」と送信した。
その後、覚悟を決め、転職先からの事務手続きメールへの返信という形で、件名の最初に「重要報告あり」と追加した上で、肺腺癌の宣告のことや、これまでの経緯などを記して送付完了した。もう16時になっていた。
結局、実家や妹に送ったのは17時半…
これまで何も告げていなかった、努めていた組織を早期定年退職する話、転職先の話、そして病気の話を3つまとめて順番に記載した。
18時半に妹から返信を受けた。
その中に「生きてください。親より先に逝ったらダメ!…」と最初の行に記してあり、兄としては何十年ぶりかに涙を流しました。そして、これを最後の涙にすることを自分に言い聞かせた…
最後に、やっぱり
担当医の先生に、CT検査と胸部レントゲンについても質問してみました。やはり胸部レントゲンだけでは、今回のような早期の発見は無理のようです。胸部レントゲンで見つかる場合は、相当に大きくなっているケースが多いようで、わたしのような肋骨に隠れているようなところは難しいとのことでした。やはり年に1回、人間ドック等でCT検査する必要があるようです。
最後に、繰り返しになりますが、毎年人間ドックを受診してくだ さい。その際に胸部レントゲンだけだったら、必ず CT 検査をオプションで入れてください。私の唯一 の教訓です。今回の転職を決断しなかったら、私は未だに自分の肺腺癌の事実を知らないと思いま すし、その後発見されたら、もう癌のステージがかなり上がったところになるかと思います。まだ、生 きる確率が少しありますので、その確率と日本の先進医療に賭けてみたいと思います。皆さん、一日 でも多く生きましょう。