何事も100%鵜呑みにしない方がいい、という話
あまり褒められた話ではありませんが、僕はある動画を見て、「媚薬は本当にあるのか?」と、「媚薬」についてネット検索して調べました。(決して媚薬を使いたいわけではありません。) あるウェブサイトには、「媚薬はフィクションの世界でのみ存在し、現実にはない」と書いてありましたが、別のサイトには、「媚薬はある」と書かれてあり、商品も紹介されていました。どちらが正確なのか僕には分かりませんが、この経験から、「何事も100%鵜呑みにしない方がいい」と気付きました。
一般に、政府や官公庁が公表する情報、査読付きの論文などは信頼性が高く、ファクトチェックがされていないインターネット上の情報などは信頼性が低いとされています。確かにそういう傾向はあると思いますが、だからといって、「政府や官公庁が公表する情報、査読付きの論文はすべて正しい」とは言えません。なぜかというと、プロや専門家もミスや間違いをすることがあり、査読付きの論文にも、人間には気づけない間違いが含まれるかもしれないからです。新聞やテレビのニュースも完璧ではなく、バイアスがかかっていたり、不正確な記述、内容が含まれることがあります。出版前に校正やチェックがされる本にも、間違いが含まれることがあるのです。チェックが入っていない、インターネット上の情報には、特に注意が必要です。
私たちができることは、情報や知識を100%鵜吞みにせず、「どんなに厳密に、慎重に研究を進めて得られた結論も、絶対正しいとは言い切れない」と頭に入れておき、情報を疑ってかかることです。
デカルトという哲学者は、「我思う、故に我あり」と考えました。例えば、「目の前のパソコンは本当に存在するのか?自分が悪霊に脳を乗っ取られてパソコンの幻覚を見せられているだけかもしれない」
とか、
「1+1=2 は本当に正しいのか?人間が勝手にそう思い込んでいて、正しいと錯覚しているだけなのかもしれない。そもそも数字なんて存在するのか?」
などと、真理を追究するためにすべてを疑ってかかります。しかし、疑えば疑うほど、あることだけは、どうしても疑えないことに気づきます。
それは、「あらゆることを疑っている自分の存在」です。
「自分があらゆることを疑っている。ということは、自分は存在する」
これが、「我思う、故に我あり」です。
このデカルトの考えには批判もありますが、僕個人としては、この考えは正しい可能性か高いと思っています。
大量の情報がテレビ、新聞、本、インターネットなどにあふれる中、真理を見分けるのは並大抵のことではできません。デカルトのように、あらゆることを疑い、信頼できるとされている公的機関が出す情報などでも、100%は鵜吞みにせず、「正しいかもしれないけど、間違っているかもしれない」というスタンスをとることが大事かもしれません。
ちなみに宗教に洗脳される人の多くは、批判的思考がなく、本に書いてあることや教祖の言うことを鵜呑みにしてしまっています。科学的思考や実証的な方法で、ある程度は間違いやミスを減らし、真理に近づけますが、そうはいっても、科学でさえ、万能ではないです。
真理をつかむのはとても難しいので、せめて謙虚に、慎重に研究、調査をする必要があり、研究結果が得られても、「いや、これは間違っているかもしれない」「この説は後に覆されるかもしれない」などと疑ってかかる姿勢が大事だと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。
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