最後の決闘裁判
他者による暴行を経験したひとは女性の人口の半分以上だと思っている。目の前の女性がただの一度たりとも、レイプされたり泥酔して連れ去られたり痴漢やストーカーの被害にあったことがないと、一瞬でも思わないでほしい。
彼らが被害にあったことを訴えると「公にするなんてはずかしい」「だらしないからだ」「誘ったんじゃないのか」と心無い言葉が山のようにふってくる。セカンドレイプというやつだ。ジャーナリストを告発した伊藤詩織さんや近年のme too運動を「みっともない足搔き」と、はっきり親世代に言われことがあり、世代間の価値観のギャップを突き付けられたのは結構ショックだった。私たちが何をされても口をつぐめというのか。犬にかまれたと思って忘れろと?
マルグリットはそうしなかった。
本作、80歳をこえたリドリー・スコットが撮ったという事実に驚きを隠せない。脚本にベン・アフレック&マット・デイモン、そこにホロフセナー女史が加わり3者3様の視点で物語を紡ぐ仕掛けは素晴らしかったし、2時間40分のうち1秒たりとも目が離せない、こんな映画は久しぶりだった。マット・デイモンがインタビューではっきりと「マルグリットの3章で明かされるのが真実であり、男たちは自分の見たいようにしか物事が見えていない」と述べていたので、彼女の語る「真実」がとても残酷で14世紀ヨーロッパの「女は資産の一部である」というくだりが悲惨さに輪をかけている。何をされても資産は声を上げられないのだ。結婚もカルージュにとっては持参金に嫁がついてきた、みたいな感覚なのかもしれない。
ル・グリとカルージュの因縁にマルグリットは巻き込まれたわけで、暴行後妊娠し(どちらの種がグレーなのも意地が悪い)審問にかけられるわけだが、カルージュはル・グリを蹴落とすのに必死で妻のフォローもない。ル・グリは、皮肉にも昔と聖職者の道を志していたので、その権利を行使すれば裁判で優位に立つ。「同じように罪から逃げた聖職者はいる」と前例を出され、ヴァチカンの児童虐待となーんにも変わってないな!と憤りを感じた。
「絶頂は感じたか」「感じなければ身ごもれない」と尋問される場面、女というだけでこの扱い。何世紀か忘れたが、同じく中世ヨーロッパのキリスト教では「女性を布袋にいれ性器だけ出し、男性は生殖行為を行う。肌の接触を避け、お互い声を出したり快楽を感じてはいけない。肉体の欲望から解放されることで神に感謝する」という戒律があったので、真逆でだいぶ驚いた。どちらにしても女性は道具としてみており、女であることを要求しつつ女という人格を否定する審問の場面も、決闘後マルグリットを指しながら、最後まで女性は男性の資産であることを見せつけてくるカルージュの姿に、絶望をおぼえたひとは多いのではないか。
本作は声をあげたマルグリットが称えられるわけでも、敵をとったカルージュとめでたしめでたしというオチでもない。ハッピーエンドとは程遠い。それでも制作陣が届けたかったメッセージはTwitterの140文字では足りないほど、現代に深く根差している。
「ブレードランナー」以来、監督は馬を上手に演出する印象があり、今回も見事にマルグリット=馬とつなげてきた。厩舎に閉じこめられ、繁殖馬としてのみ価値がある存在。ル・グリが馬に無理やりキスする場面では彼のひとりよがりな愛が見え隠れする。粗野で身勝手な男たちを見ていると騎士道精神がなんだかクソみたいに思えてしまった。
おしゃべりクソ野郎を演じた華麗なマントさばきで人々を魅了するアダム・ドライバー。観客を地獄に突き落とす彼の純真な悪意、所有欲、神への慢心が素晴らしかったので、個人的には今年の助演男優賞。最後の逆さ吊りが容赦なくて監督に拍手喝采。
英雄譚にずっぽりハマって抜け出せないカルージュのマット・デイモン。インターステラーのマン博士もそうだが、歳を経てクソ野郎が似合ってきたので今後もどんどん演じてほしい。
金髪ちょび髭ピエール伯ベン・アフレック。親友マットをこれでもかといじめぬく姿がよかった。もともとル・グリ役だったという話もあるが、ねちっこいピエールがぴったりだった。お前が睾丸を抜かれろ。
主人公のマルグリット。名もなきあなたが声をあげたその勇気と不屈の精神に、誰にも踏みにじられない魂に、そしてジョディー・カマーに拍手を贈りたい。
「プロミシング・ヤング・ウーマン」もあわせてみると女性の世界の解像度がよりあがるのでおすすめ。地獄をみてください。