育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めない話。
夏がダメだったりセロリが好きだったり、するよね。
お部屋探しを始めて早9か月以上。
ついに ふたりのおうち を契約できた喜びを分かち合うこともなく、二人分の祝杯を一人で飲み干した夜のお話。
翌日、私がテレワークをちょうど終える頃に
おばあちゃんの四十九日法要と買い出しを済ませて戻ってきてくれたタミオ君と、約束していた赤から鍋を食べた。
食べる時に気付いたけど、赤から鍋の素(タレ)の賞味期限が半年も切れていた。密封は無敵だと満場一致の末、迷わず食べた。
とても美味しかった。
鍋の季節だね。
適当に入れた数々の具材とともに
おばあちゃんにお供えされていたお餅も入れた。
我々は餅が好き。餅万歳。
タミオ君はパンパンになった自らのお腹をさすりながら寝転がって、『幸せだなぁ』と言った。
幸せだな。
『昨日は本当に疲れてたんだね、食べてる時もほとんど会話が成り立ってなかったよ。』と伝えたところ
寝起きでご飯を食べたことは覚えているけど
ご飯ができて起こした時には起きなかったことも
結果自力で目覚めて食べ始めたものの途中で寝てしまったことも 覚えていないようだった。
なぜかご飯もおかずも少し冷めていたことは覚えていたようで
だからか…と言っていた。記憶の断片が半端ない。
何故そんなに疲れていたのかはわからないけれど
家が決まって嬉しい気持ちは同じようで安心した。
『その日に喜びを分かち合えなかったことは正直寂しかったけど、今日(赤から鍋)リベンジできたし大丈夫。これから時間見つけてちゃんといろいろ話し合おう』って約束した。
その日は、K'sでもらったカタログから冷蔵庫の選別だけした。炊飯器と洗濯機は見送った。というよりパワーが切れて二人とも寝た。
この先しばらく、タミオ君が夜勤だったり 私も休日出勤が続いたりする予定なので、なかなかまとまった時間だったり、同じ日に休みが取れなくてモヤモヤすることも出てくるかもしれない。
そもそも入居日が決まらないと退去の申請もできないので
ミニミニからの連絡を待ちつつ、私も地道に断捨離を進めたいと思う。
そしてタミオ君の荷物が新居に入りきるのか問題についても
必要以上のストレスにならないように 可能な範囲で選別してもらって、売ったり譲ったりするものがあれば手伝うし、量によってはとりあえず運んじゃってから考えてもいいんじゃないかと話して。
リビングとは別に、ほぼ同じサイズの部屋が2つあるので
片方をタミオ君の部屋(兼 荷物置き場)にして
もう片方を私の部屋(兼 寝室)にすることになった。
今私が住んでいるマンションは、台所に何も物を置けない1Kなので、冷蔵庫やレンジ、食器棚も部屋の中に並んでいる。
新居には物を置ける台所があるので、その分減ることを考えたら、私の部屋にあるものを丸ごと運んで、ベッドをもし買い替えて大きくなったとしても全部一部屋に収まる予定。
でも最初が肝心である。極力荷物は減らしたいし、余裕を作っておきたい。
私だけが断捨離したって片付かない。それが ふたりのおうち である。
重ならない休みのうちに
タミオ君には自分の荷物をできるだけ整理する努力をしてもらおう。
そういう日があってもいいように、私は休日出勤依頼を受け入れた。
一緒に暮らす夢が現実になったことで、一緒にいない時間も一層満喫しようという気持ちが芽生えたりしている(少なくとも私は)
それぞれが自分のお片付けに励む時間だったり
今までのように家族と過ごす残りの時間を大事にしてもらうとかも含めて。
ご飯をこじんまりと済ませちゃうことも
お風呂にゆっくり浸かりながらsilentの見逃し配信を見ちゃうことも
朝の支度にしてもなんにしても
こうして単独で優雅に自由にこなすことに罪悪感を感じずに満喫できるのは、一人暮らしの醍醐味でもある。
しかしながらその醍醐味を、実際ほとんどこの2年弱の間 私は満喫してこなかった。
ご飯をちゃんと自分で作りたいという理由で家を出たし
お風呂にゆっくり浸かる時間なんて勿体ないと思ってしまって、シャワーで済ませることばっかりだった。
タミオ君が通ってくれるようになって
朝すぐ食べれるパンを買ってきてくれたり
全部作らなくていいよ、ってセール品のお惣菜を買ってきてくれたりする。
そして、一緒に疲れを取りがてらお互いと向き合い触れ合う時間を作るために という理由も兼ねて、実家ではそうしているタミオ君に倣って 二人の時はお風呂にお湯をためるようになった。
少しずつ時間やお金の使い方が変わって
自分を大切にする方法を学んでいって
一人でいることも、二人で過ごすことも、大切に感じるようになった。
自分で自分の世話を焼きたかった希望は叶ったし、それを続けることによって少しだけ自分に自信も持てた。
タミオ君のお母様が私に『いつもお世話してくれてありがとう』と伝えてくれることに対して、ほんのり違和感があったのも
日常の延長線上にタミオ君という存在が追加されただけで負担が増えたわけじゃないからこそ 『こちらこそありがとう』と思えるのかもしれないな、と改めて思った。
*****
先日、我が家のトイレにスリッパがないことを初めてタミオ君に突っ込まれた。もともと百均で買ったマットを敷いていたけど途中で捨てた。掃除がしやすいから。
頻繁に掃除することでキレイを保った方が良いと思っている。
あとはそもそも実家のトイレにスリッパがないので、当たり前に思っていたけど 思い返せば実家にも昔はスリッパがあった。
半身不随のばあちゃんを引き取って一緒に暮らし始めてから、撤去したんだったような気がする。ちなみに実家のトイレにはドアもない。ばあちゃんが自力で開けられなかったから。(一応カーテンはある)
慣れというものは恐ろしいもので
ドアもスリッパもないトイレが当然の生活を長年送っていたばっかりに、わからなかった。言われてみれば他所の家にはいつだってトイレにスリッパがあったし、他所のトイレにスリッパがあることに違和感を感じたことがなかった事にもついでに気が付いた。
タミオ君はずっと気になっていたらしい。
こういうことがこれからもきっとチラホラ出てくるんだろうけど、お互いの価値観を相手に押し付けることなく 臨機応変に対応しながらも お互いの気持ちは遠慮なく伝えられる関係性を今後も保ちたい。
お客さん用に買ってあったけど使っていなかったスリッパを、トイレ用にした。これも百均だから、汚れた気がしたら軽はずみに交換しよう。ありがとう百均。
ちなみに 私もついでに
何故タミオ君がトイレを出た後、いつもトイレが汚れていないのか気になっている。と聞いてみたところ(男の人は汚すもんだという先入観)
どうも飛び散らないように全力で努力しており、事後には必ず拭いてくれているらしい。やっぱりな、と思ったけど そうじゃなかった時に【掃除してよ】というプレッシャーになるといけないから私も今まで聞かなかったことを伝えた。
実家でもそうしてるらしい。
素晴らしい教育だな、と親御さんを讃えたけど、どうやら自発的な努力だそうで他の家族が同じかどうかはわからんみたい。
なるべく規定値で汚さないようにする方法の詳細も聞いたけど、文字で説明するのは難しいから割愛。
育ってきた環境が違うことで 考え方や生活の仕方に差が生まれるのは当たり前のことだけれど、私にとっては タミオ君やタミオ君の家族から受けた影響が悪い意味で作用したことが一度もない。
タミオ君やタミオ君の家族が日々当たり前のようにしているいろんなことは、これまで自分が「勿体ない」とか「申し訳ない」とか思ってしまっていた 穏やかで優雅で些細な事。
例えば、休みの日にはお出かけしてお土産を買ってきてくれるとか
俗に言うおやつの時間にカフェタイムする(珈琲を入れてちょっとしたお菓子をつまむ)とか
一般の家庭でもごく当たり前にしていることかもしれないけど
我が家にとってはとても贅沢なことだった。
いつでも時間に追われて人のためにばかり動いている母と過ごしている日々の中、加えて長い介護生活で常に自分のやりたいことや気持ちや時間の確保を後回しにし続けてきた日々で染み込んだ考え方が、少しずつ解されているような気がしている。
決してそういう時間を作ることを、強制されているわけではない。
タミオ君やタミオ君の家族の生活や考え方に触れて、自分も一緒にそうしたいと思えるような気持ちになれることが とてもありがたいことだな と思う。
あと一か月かもうちょっと
一人じゃないとできないことや、一人だからこそできること
タミオ君とも今の距離感だからこそ感じられるいろんな気持ちを大事に満喫しつつ、残りの一人暮らしを楽しみたいと思います。
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