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Lost and Found (MONKEYのための習作)

 公園のごみを拾い始めたのは、犬が死んだからだ。

 目鼻の奥にいつも水風船のようなものがあって、たまに破裂する。あとに残る暗く湿った洞穴のような時間を、毎朝ごみを拾い、集積所に預けて帰ることで埋めていた。

 ペットボトル、缶、瓶、スナックの袋、煙草の箱、吸い殻、マスク、ボールペン、イヤホン、コンドーム、靴、ハンガー、絵画、薬、台本、花火……。
捨てられたもの、落とされたもの、忘れられたもの。それらを無心に拾う。するとつかの間、その場所はきれいになり、私はこの世界に参加している感覚をとりもどす。捨てる方ではなく拾う方の人間として。

 日ごとに緑が濃くなる夏の帰り道、ヒヨドリたちが騒がしかった。みれば山桃の木の下に一匹の猿がいて、赤紫色の実を食べていた。公園に隣接する住宅街だ。どこかから逃げてきたのか。保護すべきか? 触れても大丈夫?

「どれもノー」

 見透かしたように猿が口を開いた。
 そして、細長い掌をこちらへ差し出した。

 近寄ってみると完熟した山桃がふた粒のっている。状況を把握しかねている間に、猿は藪のなかへと消えていった。

 それから猿は時折、姿をみせるようになった。犬猿の仲というくらいだから今まで遭わなかったのか。猿はどことなく色褪せて、歳をとっているようにみえた。

 山の猿は果実を食べ、種子を散布する。都会の猿が種子を蒔いても、木が育つことはないだろう。

「つまらないな」と猿がつぶやいた。どんな言語を使ったにせよ、そう聞こえた。
 さびしい? とたずねると、猿はゆっくりと目を閉じて、そのまま動かなくなってしまった。

 さびしいのは、私の方だ。私は、猿も犬のようにハグすることはできるだろうかと考えていた。

 ある朝、空の明るさに違和感を覚え、山桃の木が伐採されたことに気がついた。近隣の家に陰を落として、苦情が出たのかもしれない。切り株は熟した実と同じ赤紫色に湿っていた。

 それから猿をみていない。

※猿が出てくる800文字のショートショート。『MONKEY』誌編集長、大好きな柴田元幸さんが出されたお題に従って初めて書いてみました。ちょうどこの山桃の写真を撮った1週間くらいあとに、理由はわからないけれど木がばっさりと切り倒されていて、喪失感に喪失感がかさなって、脱力していたときでした。切り株はまるで血液のように山桃色で、草木染めできたかもしれない。猿の顔やお尻の色も、こんな色だったかもしれない。
書き方など知らないので、ごみ拾い日記の特別編のような感じで書いてみました。

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清水美穂子
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