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あのころのあの家の記憶
あのころのあの家を知っている知り合いは、もう誰もこの世にいなくなってしまった。
前回書いた江國香織の『シェニール織とか黄肉のメロンとか』で老女がふと思ったこと、その何気ない2行が物語の本筋とは無関係に、わたしに生まれ育った家を思い出させた。ある香りが特別な記憶を思い起こさせるみたいに。そのセンテンスの寂しさは、澄んだ水に投げ入れた小石のように、つめたく沈んで底に落ち、ゆらゆらと輝いた。
わたしが生まれ育った家は二度建て替えられて、いまは妹家族が住んでいる。リビングにはあのころ祖父の部屋にあった方形の座卓が置かれている。妹はそれを気に入って今でも使っているのだ。
そこにすわって木目に指を沿わせると、絵本を読んだり、絵を描いたり、おやつを食べたり、祖父が現像した写真を並べたりしたあのころがよみがえってくる。
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祖父は絵が上手かった。庭の植物を描いて小さな袋をつくり、庭に蒔く草花の種を入れていた。それがわたしはとても好きだった。種の袋はもうなくなってしまったが、祖父が描いた年賀状やポチ袋、そしてスケッチブックを妹は保存していた。年末やお墓参りで帰省する度に、わたしは実家に帰ったように、そういう懐かしいものを見せてもらう。
スケッチブックの中に、切り抜かれた鳩が2羽、挟んであった。あられのような模様は妹かわたしが描いたのだろう。
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ただそれだけのことだけれど、妹とわたしはしばらく二人で絵に魅入っていた。もしかしたら祖父もそこにいたかもしれない。メトロポリタン美術館にある絵画より、サザビーズやクリスティーズでオークションに出品される美術品より、わたしたちにとってそれらは価値があるものだ。たとえ何かの模写だったとしても。
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他のものよりあきらかに古びたスケッチも、挟んであった。そこには日付のようなものも書かれてあって、「1939 Aug 28 」とかろうじて読めたが、それだと母の幼少期、第二次世界大戦が始まるころの絵と思われる。裏には子供の描いたような絵があったので、母が描いたものかもしれない。
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おかあさんはなんのくだものがすき?と聞いたとき、母はインドリンゴと答えた。
これはそのインドリンゴなのか。インドリンゴって?わたしは検索を始める。バナナも好きだって言ってた。バナナは高級品のはず。でも台湾なら?おじいちゃんは仕事で台湾にいたときもあったよね。二人の記憶を合わせても、そこから先は判明しない。生きているうちにもっと聞いておけばよかったなと、わたしはすごくありふれた後悔をする。
どこにも記されていない。それが、一般人の人生だ。けれど祖父にも早くに亡くなった祖母にも、母にも、祖母の代わりをした伯母にも、小説やドラマになるような歴史があったに違いないことを、わたしたちは知っている。そしてそれはもう今ではわからないし、消えかけた日付同様、おぼろげに推測できることも、そうした家族の記憶も、せいぜいあと二十年かそこらで、この世から消えてなくなってしまうことも、わかっている。
そんなこんなを合わせて、大切だった。わたしたちはつかの間、半世紀以上前と同じ場所で記憶を掘り起こして、埃をはらってしばらく見つめていた。
それから妹は、ドラマ『ブラッシュアップライフ』を観ようよ、と座卓の前のテレビをつけた。前回の人生の記憶を持ったまま、何回も同じ人生をやり直す安藤サクラさん演じる物語。
ねぇ、もし自分がやり直せるとしたらどこをやり直したいと思う?前世の記憶を持ったまま、また同じ人生を繰り返すって、いろんなことを知りすぎていて辛くない?
ドラマを観ながらしゃべる姉は、すぐに妹にたしなめられる。
もしもう一度、同じ人生があるのなら、わたしは家族の歴史を真剣に聞くだろう。彼らの人生をもっと知ろうとするだろう。それは自分の秘密を知ろうとすることと、きっと同じなのだ。
歳を追うごとに妹がいてよかったと思う。
妹は、あのころのあの家を知る唯一の知り合いだ。
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