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優雅な生活が最高の復讐である


「ともかく、人生を悲劇的基準で測らないようにすることだ」とジェラルドは言った。

優雅な生活が最高の復讐である

フィッツジェラルドが憧れ、小説『夜はやさし』のモデルとした夫婦、ジェラルドとセーラ。そのふたりのノンフィクションが、この本だ。フィクションにもノンフィクションにも描かれる夫婦ってどんなふうなんだろう……?
この本はいまから60年前、雑誌『ニューヨーカー』に連載され、日本でも1984年(リブロポート)、2004年(新潮文庫)に翻訳が出ているが、久しく絶版となっていたものを今回、全面的に改稿、アメリカで2013年に刊行されたMoMA版をもとに、カラー図版もいれた決定版だという。フィッツジェラルドは読んでいたけれど、夫妻のことは知らなかった。1920年代のフランスで、ピカソやヘミングウェイ、コール・ポーター、レジェ、そしてフィッツジェラルド夫妻と交友関係にあった二人のリアルを、ニューヨーカースタッフライター、若き日のカルヴィン・トムキンズが描き出している。

フィクションとノンフィクションで語り継がれる伝説的な夫婦に興味がわいた。読んでいる間はずっと、ウディ・アレンの映画『ミッドナイト・イン・パリ』(2011アメリカ・スペイン合作)が頭のなかに流れていた。
裕福で、人づきあいがスマートで、衣食住のセンスが抜群で、有名な芸術家たちと友達の彼らにも、息子が二人も亡くなるというような不幸があった。けれど、その不幸に対する考えかたが、冒頭の引用であるし、タイトルでもある。

「『セーラときみのやることときたら、いつもほかの連中のとはだいぶちがうが、どうしてだ? 服の着かたもちがうし、暮らしかたもちがうし、パーティのやりかたもちがう』。ぼくはたしかこう返事した。『人生の自分でこしらえた部分、非現実的なところだけが好きなんだ。確かにいろんなことが起きる———病気とか誕生とか、(中略)。それらが現実だ、どうにも手の出しようがない』。すると、スコットが、そういうものは無視するってことかい、と訊いてきた。だからこう答えた。『無視はしないが、過大視したくない。大事なのは、なにをするかではなくて、なににこころを傾けるかだとおもっているから、人生の自分でつくりあげた部分しか、ぼくには意味がないんだよ』」。

優雅な生活が最高の復讐である

スコット(フィッツジェラルド)みたいに誰かの人生を羨むのではなく、自分の人生をちゃんと生きることへの鍵がそこにある。

ジェラルド自身、短い期間だけれども画家としても活動し、作品を残している。わたしはそれも知らなかった。子供の頃に好きだった古賀春江の『海』みたいな感じの絵。いつかMoMAかホイットニー美術館でジェラルドの絵を見てみたい。

「大好きな現実の事物がぼくには抽象物、というか、抽象世界の事物になってきたんです」

優雅な生活が最高の復讐である

絵についてジェラルドはそんなふうに語っている。彼の目から見た、彼がこころを傾けた現実がそこに描き出されている。

理不尽な思いをしたり、ひどい目に遭ったとき、悲しんだり憎んだりしつづけるよりも、どうにもならないそれはそこに置きざりにして、幸せでいられる角度で生きていけたらいいと思う。ひとりよがりであっても、誰になにを言われても、誰にも代わってもらえない自分の人生なのだから。本当に優雅に生きているところを、心の中にいる当時の自分に、もしもいるならそのとき心配してくれた人たちに、胸をはって、見せてあげたらいい。


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