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自分軸で生きる

高度情報化社会の中、自分軸で生きている人は、どれくらいいるのだろうかと考えることがある。

SNSには煌びやかな世界が広がっており、その世界と現実を比較して、疲弊している人も多いのではないだろうか。


この秋、私は人生で初めて、普通の生活が送れなくなった。

原因は、長年他人軸で生きてきた結果、自分を認めてあげることが出来なくなり、精神的に追い詰められてしまったからだ。

精神科にかかってはいなかったものの、ほぼ鬱病のような状態だった。

ストレスから徐々に頭が回らなくなり、何にも興味がなくなり、物欲もなくなり、眠れなくなった。

生きていても何も楽しくない、このまま人生終わってしまうのだろうか、と絶望的になった。

出かけたいとは一切思わず、誰にも会いたくない、引きこもりの生活。
食べることしか楽しみがなく、身体は太っていく一方だった。
そうすると、余計に外に出ることが億劫になり、負のスパイラルの連続だった。


この経験から、わたしは自分を大切にする、自分軸で生きることの大切さを学んだのである。

みなさんは、自分軸と他人軸について、考えたことがあるだろうか?

私は、自分が他人軸が強いことは、日頃から自覚していた。周りが良いとすることが正解、上司の良いと言う方に従う、それがある意味楽であり、正しいことだと思っていた。

しかし、周りの正解、いわゆる世間一般に正解だといわれる方ばかりを選んでいると、とても疲れるのである。
その基準に、常に合わせ続けていることになるからだ。

以前の私は、その考えを続けた結果、常に周りにどう思われるかを意識し、自分の気持ちは二の次にしてしまっていた。

小さな例だが、寒いから靴下を履きたいとする。だが、靴下を出すと洗濯しないといけない、我慢すればいい、という考え方をしていた。しかし、旦那の靴下は出してあげるのだ。
これは、他人には優しく、自分を大切にできていない一例である。

今までの私はそうだった。
自分にしか迷惑のかからないことは、適当に済ませていた。

他人からどう思われるかばかりを気にして生きていたからか、他人に優しくすることに精一杯で、自分に気を配れていなかったのだと思う。

自分軸で生きるようになってからの最も大きな変化は、他人と比べることがなくなったということだ。

今までは、どこか他人と比較した損得勘定のような物差しが自分の中にあった。

例えば、安い買い物ができた、安くホテルを予約できた、どこの誰でもない他人と比較し、得できたと感じて優越感に浸っていた。

でもそれは、何も得していないのである。

その買い物は必要な買い物だったのか?
安いから買っただけで、実際に必要じゃなかったのでは?

結局は周りと比較し、損か得かで判断しているため、自分が欲しいものではない場合が多いのである。

自分軸で判断できるようになると、本当に欲しいものだけを買うようになり、散財することがなくなった。

欲しいものが少し高かったとしても、今必要としているから、という基準で買うと、とても満足度の高い買い物になるのである。

以前の私は、安い!セールだから買おう、と着もしない洋服を買い、一度も着ることなく処分する、そんなことが多々あった。

結局、その選択は自分にとってマイナスだったのだ。

自分がそうしたいと思うからそうする、これを軸にしたことで、とても生きやすくなった。

たとえ失敗したとしても、そんな時もある、と思えるようになったのだ。

今までは、失敗は悪、正解に最短距離で辿り着くことが最重要だと思って生きてきた。

でも、まわり道をしてもいい。

正解などどこにもなく、自分で決めるものだ。

今、私は、スマートフォンのメモ帳機能を使用し、毎日のよかった出来事を書き残している。
例えば、美味しいケーキを食べた!とか、自分が良いと思う方を選べた!など。

自分の選択を尊重する、周りが良いというからそうするのではない。

「自分で自分を認めてあげたこと」で世界が変わったのである。

「自分軸で生きる」

高度情報化社会に生きる私たちには、必要な考え方であると思う。

決して、他人軸が悪いわけではない。

他人軸は、時にはモチベーションにも繋がる大事な考え方だ。

しかし、そのバランスが崩れると、生きづらさを感じてしまう。

今まで生きてきた価値観を変えることは、容易いことではない。

しかし、いま目の前にある選択を、すこし立ちどまり、自分軸で考えてみてはどうだろうか。

どんなに小さな選択でもいい。

自分の気持ちに素直に従ってみよう。

自ずとこたえが見えてくるはずだ。

人生は選択の連続である。

あなたの明日が、

少しでもよいものになることを心から願う。


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